北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第2節 村の動き

1 村義定

45 安政五年(一八五八)十月 元宿村惣百姓議定書の写
  (本宿 岡野正家文書二四一)
(表紙)

    安政五年
   惣百姓議定書の写
    午十月      村役人
                    」
     惣百姓仲間議定の事
一、麦小麦諸作荒し候者過料金五両也
一、田方稲作野荒し候者同断金五両也
一、古山新山ニて茅青草荒し候者同断五貫文也
一、同所落葉枯枝荒し候者同断五貫文也
一、立木男松伐荒し候者同断五貫文也
一、惣百姓入会原たりとも、立木男松生枝勝手儘ニ伐取候者有之候節ハ、村役人立会見積り代金為払其上過料五貫文
一、芝久(かカ)き等他所江勝手儘ニ親類たりとも差遣し候節ハ、村役人江相届ケ申一同申合候上差遣へく事
 但し、大勢ニて野山荒し候もの壱人別ニ過料可差出事

資料45 惣百姓議定書の写(本宿 岡野正家文書)

     議定の事
一、当村田畑山原等前々より数度取定も有之候得共、近年猥りニ相成一同難義致候ニ付、尚又今般相談の上前ヶ条の通取極仕候、然ル上ハ相互ニ野山荒し候者見付候ハゝ、取押村役人江可出事、組合懇意の者たりとも見逃後日顕候節ハ、其当人同罪過料銭可差出事
他所の者ニ有之候ハゝ先村江懸合、村方議定の趣相届ケ可申候事、其時々差滞候節ハ、諸入用等ハ村方惣高割を以可差出候事
若又困窮の者ニて過料銭成兼候もの捕候節ハ、御取締御下知ヲ受可申候事、過料銭受取候ハゝ半分ハ見付主江為請取、余ハ夫銭足金ニ可致筈ニ御座候
右一同相談の上取極メ仕候上ハ聊相背申間敷候事、為後日議定一札依て如件
  安政五午年十月
  勇   蔵 ㊞     庭 次 郎 ㊞
  卯 之 吉 ㊞     泰   助 ㊞
  喜   八 ㊞     栄   助 ㊞
  長   蔵 ㊞     熊   吉 ㊞
  佐五郎後家 ㊞     藤 五 郎 ㊞
  浅   吉 ㊞     金 次 郎 ㊞
  長   吉 ㊞     松 五 郎 ㊞
  庄   藏 ㊞     元 次 郎 ㊞
  甚   蔵       銀   蔵 ㊞
  丈   八 ㊞     久   蔵 ㊞
  治郎兵衛  ㊞     元   吉 ㊞
  嘉   蔵 ㊞     金 兵 衛 ㊞
  斧 吉後家 ㊞     鶴   蔵 ㊞
  佐 源 次 ㊞ 百姓代 堅 五 郎 ㊞
  庄 次 郎 ㊞ 同   和   吉
  兵   吉 ㊞ 同   丈   八 ㊞
  又 七後家 ㊞ 君頭年番 亀 次 郎 ㊞
  文   七 ㊞ 組 頭  市 五 郎 ㊞
  留 五 郎 ㊞ 同    七郎兵衛 ㊞
  喜 平 治 ㊞ 同    彦 四 郎 ㊞
  菊 太 郎 ㊞ 名 主  三郎兵衛 ㊞
  安五郎後家 ㊞ 
解説 この資料によると本宿村では、麦小麦諸作を荒したもの、つまり畑にある農作物の窃盗などをした者には、金五両の過料を申しつけることをはじめ田畑山林などの保護・使用について幾度も取り決めてきたが、このごろまたまた乱れてきたので、この議定となった。
これによると、麦小麦作、稲作、古山新山の茅、落葉、立木、松などを荒した者にはそれ相当の過料を課すること、村内の者や他村の者を見つけた場合の対処の仕方、困窮者の場合は取締役に知らせること、取り上げた過料の半分は発見者へ、残り半分は村方の夫銭の足し金にすることなどが、村民四三名によって取り決められている。

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