北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第2節 村の動き

2 村役人

48 天保十三年(一八四ニ)五月 名主役料出入済口証文
  (本宿 岡野正家文書六三)
    差上申済口証文の事
御知行所武州足立郡本宿村組頭辰五郎より、同村組頭進右衛門江相懸り、両人共組頭役相勤候処、進右衛門義勝手儘の取斗致候段辰五郎より奉出訴候ニ付、同人被召出猶相手方よりも返答書差上当時御吟味中ニ御座候処、扱人立入熟談内済仕候趣意左二奉申上候
一右出入扱人立入双方得と及懸合候処、一体訴訟方辰五郎相手進右衛門両人共組頭役相勤、当御知行分御年貢辻取立方其外共両人二て相勤候処、進右衛門親惣吉義去ル巳年より拾ケ年程休役致、其節より辰五郎親佐右衛門廿ケ年前より拾弐三ヶ年の間年番名主取立致、右佐右衛門壱人ニて相勤罷在、尤見面六反歩の雑木林の義は、当四拾ケ年前より三反歩ツゝ両人二て今以進退罷在候処、進右衛門方二て右山支配いたし彼是行違も在之、右は無役中支配可致義ニ無之候間、今般扱人取斗を以年々右山支配役益の分夫々見積り進右衛門より辰五郎方江為相渡、旦其余進右衛門如何の取斗致候旨訴訟方申立、相手方ニてハ右様の儀ニ無之段申争候廉々は、扱人より双方及懸合夫々事柄相分り、右申争憤り合の義は扱人貰請、向後一同正路二役義相勤相互ニ睦敷致候口ニて、双方聊無申分熟談内済仕偏 御威光と難有仕合奉存候、然ル上は右一件ニ付重て双方より御願筋毛頭無御座候、為後証済口証文差上申処仍如件
    御知行所
      武州足立郡本宿村
 天保十三寅年五月 訴訟方 組頭 辰 五 郎
      同村 
       相手 同  新右衛門
      下日出谷村
       扱人 名主 文右衛門
      中分村
       同  組頭 岡 次 郎
      石戸宿村
       同  名主 善右衛門 
御地頭所様
 御役人中様
解説 この資料は組頭辰五郎が、同進右衛門を「勝手が過ぎる」と領主に訴え出、双方呼び出され争い中であったが、この度三村の村役人の調停もあって、一応の解決がついたというので先の訴えを取り下げるという文書である。
これによると争点は土地をめぐるもので次のようである。両人は組頭で同時に交互に年番名主を兼ねていた。進右衛門方では名主役を一〇年ほど休み、辰五郎方でその分余計に名主役をつとめてきた。ところで四〇年前から役料として六反歩の山林を半分ずつ使用してきたが、進右衛門が休役中にもかかわらず使用しているのは筋が通らない話であるとして、今後は山林支配は就役中の役料とすることで関係者の和解がついたものである。

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