北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第2節 村の動き

5 村方出入と治安

63 文久二年(一八六二)五月 高尾村及び北袋村百姓人馬通路道普請願
  (埼玉県立文書館所蔵 鴻巣市 藤井真家文書)
     差上申一札の事
今般其御村方畑地私共所持罷在候処、当節馬入通路相分り不申候ニ付、其御村方仕来り通り人馬通路ニ相成候様御願申上候、就てハ我等共所持の畑江道筋何様相掛り候共少も違変無之候間、何卒其御村方御役人方御立合の上道御普請被成下置度奉願上候、然ル上ハ右御普請ニ付一同連印の者共決て故障等毛頭無御座候、依之連印差上申候、以上
文久二戌五月 高尾村 藤   吉
       北袋村 徳右衛門  ㊞
       同   彦   八 ㊞
       同   半左衛門  ㊞
       同   角 次 郎 ㊞
       同   次郎右衛門 ㊞
       同   小左衛門  ㊞
       同   彦   七 ㊞
       組頭  亀 次 郎 ㊞
  原馬室村
   御役人中
解説 この資料は高尾と北袋の百姓九名が、馬室の役人にあてて出した願書である。これによると九名が所持している畑は、このごろ馬の通る道か否か不明になってしまった。わたしたちとすれば原馬室村のやり方で結構であるし、畑に道がかかってもよいから、道普請をしてほしいというものである。

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