北本市史 資料編 近世

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第1章 領主と村

第2節 村の動き

5 村方出入と治安

65 文久三年(一八六三)九月 善助一件につき歎願書写
  (下石戸上 吉田眞士家文書四二)
(表紙)
「 
   文久三癸亥年
 善助一件歎願書写
  九月
             」
   乍恐以書付奉歎願候
     牧野網綱太郎知行所
      武州足立郡高尾村
        百姓 定五郎伜
        啓 次 郎
        同   繁   蔵
        同   四 郎 吉
     牧野大内蔵知行所
      武州足立郡下石戸上村
        百姓  嘉 重 郎
        同   清 五 郎
        同   和 太 郎  
        同   角 三 郎
        同   茂   八
        同   要   八
           磯五郎伜
        同   重 太 郎
右のもの共義、下石戸上村百姓岩次郎忰善助義、高尾村幸蔵後家せん娘とく取持ニて、同村源助娘そのと密通致居候哉の処、当四月中善助女房貰請候砌、下石戸上村百姓友次郎・幸三郎相頼、両人の取扱ヲ以趣意迄金差出シ手切いたし候風聞有之趣ヲ以事六ヶ敷申懸ケ、両村年若の者共江も善助より趣意迄金為差出、銘々酒食に致旨申合其段懸合および候処、一切無之旨相答候ニ付品々混雑いたし、果は取持いたし候とくを高尾村地内薬師堂江連参り、有体不申聞候ハゝ素裸ニいたし村中引廻シ候杯威無跡形義無体ニ為申立、証人有之上は無相違趣ニて同村年若の者共多人数提灯数張相灯し、当七月六日岩次郎方江押参り強談及び候哉の風聞入御聴、今般引合の者共ヲも被召出始末御糺中の処、暫時御猶予願上事実得と承り尋候処、同月は流行病災祈祷として高尾村天王臨時祭礼ニ付、とく義為参詣罷越候途中薬師堂前ニて神輿巡行ニ行逢片寄候処、折悪敷前夜の大雨ニて側の土取跡江溜り居候水中江辷り落候間、神輿として罷出候者共周章引上ケ素裸ニいたし濡衣類為着替候義二て彼是手間取、夜ニ入提灯数張相灯し岩次郎宅最寄致巡行候義有之、且右祭礼ニ付岩次郎義聊不行届の廉有之扱人立入一札差出し事済相成候処、素に当座の手違往々右様の一札取置候ては不穏ニ付差戻し候義ニて、年若の者共酒食可致ため岩次郎江難題申懸とくを証人ニいたし候積、素裸ニて村中引廻し候杯申威候義は毛頭無御座候得共、一体両村共人気不宜故自然如何の風聞相立候義ニも可有之、且又源助・岩次郎宅は村違とは乍申聊相隔り隣家同様の場所ニて、善助そのとは幼少より別て中睦敷相育、年頃ニも相成候間互ニ遠慮いたし居候得共、折々とく方江参り合候砌外友達とも違ひ兎覚馴々敷咄し杯致し、自然とく取持ニて密通致居候体ニ相見江候間、当四月中貰請候ニ付、友次郎外壱人取扱ニて手切いたし候杯如何の風聞相立候得共、既ニ善助婚姻の節そのより何とも不申出候上は密通致し候義毛頭無御座候処、前条不人気の村方故右様品々風聞相立御糺受候次第ニ到り候段奉恐入候ニ付、以来は御改革御取締の趣弥以堅相守可申候間、今般の義は幾重ニも  御慈悲の御沙汰奉願度旨申之、猶再応承り糺候処申聞候通り相違無御座候間、何卒格別の以御仁恵御宥免の御沙汰奉願度、一同連印ヲ以此段奉申上候、右願の通り被仰付候上は、両組大小惣代寄場役人村役人共より御場所先江不罷出もの江は、壱人別申諭是迄の悪弊為相直、万一不得止事不所業のもの有之候ハゝ、御廻村先江早々奉申上候様可仕候間、幾重ニも御慈悲の御沙汰奉願上候、以上
      牧野大内蔵知行所 
文久三癸亥年 武州足立郡下石戸上村
   九月   百姓  岩 次 郎
          同人伜
            善   助
        百姓  友 次 郎
        同   幸 三 郎
        同   宇   八
     右役人惣代
        組頭  甚 之 丞
    牧野鋼太郎知行所
     武州足立郡高尾村
       百姓  源   助
        百姓幸蔵後家せん娘
            と   く
        百姓  伴   七
        同   善 之 丞
        同   佐五右衛門
      右村役人惣代
        組頭  金 之 助
    牧野鉄次郎知行所
     武州足立郡荒井村
        組頭  文右衛門
    林大学守知行所
     武州足立郡大間村
     小惣代名主  三   蔵
    日下部権左衛門知行所
     武州足立郡深井村
     大惣代 名主 三郎兵衛
    牧野大蔵蔵知行所
     武州足立郡下石戸上村
     小惣代 名主 徳 太 郎
    牧野大内蔵知行所
     武州足立郡上川田谷村
     大惣代 年寄 専左衛門
    佐々井半十郎知行所
     武州足立郡上川田谷村
       年寄 孫 三 郎
       同  弥 兵 衛
       名主 三 九 郎
 関東御取締御出役
   内山左一郎様
解説 これは資料64『善助一件につき嘆願書』の続編にあたる。前編では善助に対して友五郎が難題をかけたのは「いかようの了簡これあり候や」と不詳であるが、この資料では概要次のようである。
善助と、そのとは隣りどうしで幼少のころより仲睦しい間。その善助が他の女と結婚した。ところが善助は「不人気の村方故」に友次郎ほか村の若者が、この間の事情を見逃さず、善助は、とくの仲介で、そのと密通したと難題をもちかけ、手切金や酒食の振舞いを要求したといっている。もとはといえば、善助の不人気が村の若者のいじめを誘ったのである。
これは写なので提出先が書いてないが、前編同様関東取締出役に出されたものである。

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