北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第5節 宗門と戸籍

3 人別落着状

162 天保八年(一八三七)十一月 足立郡原馬室村より荒井村へ人別落着状
  (北本市教育委員会所蔵)
     落着一札の事
一其御村方御百姓与右衛門殿妹ちゑ儀村方安左衛門世話ヲ以村方百姓三郎右衛門嫁ニ貰請申候所相違無御座候、然ル上は村方宗門人別帳ニ書載候間、其御村方宗門人別帳御除可被下候、右三郎右衛門儀代々真言宗ニて 馬室郷常勝寺旦那ニ紛無御座候、 尤御法度の邪蘇宗門ニてハ決て無御座候、為後日落着一札差出申所如件
     御代官伊奈半左衛門支配所
       武州足立郡原馬室村
            名主 健 司㊞
天保八酉年
  十一月
     荒井村
       御名主中

資料162 足立郡原馬室村より荒井村へ人別落着状

(北本市教育委員会所蔵)

解説 人別落着状は前の人別送り状と対をなすもので、嫁入りなどで新たに村民となった者が村の戸籍台帳である宗門人別帳に登録された旨を相手方の名主に知らせる通知文である。
この資料は嫁入りの例であり、嫁を貰った家の宗旨についても知らせている。なお、資料163は養子縁組であるが、資料164は、荒井村の夫婦が川越城下の借家へ引越した例で、他に余り例がない。本来土地にしばられていた農民が土地と関係なく移住できるようになったことは、封建制度の社会が崩れてきたことの現われであろう。江戸時代中期以後土地を捨て江戸に集まる農民が多く、寛政の改革や天保の改革の際には「人返し令」を発し帰農を奨励し、江戸移住を禁じたが効果はなかった。

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