北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第5節 宗門と戸籍

4 欠落・帳外

166 天保十三年(一八四二)正月 本宿村組頭万次郎忰光五郎帳外願
  (本宿 岡野正家文書五八)
     乍恐以書付奉願上候
当御知行所武州足立郡本宿村組頭万次郎奉申上候、私忰光五郎儀当寅三拾才ニ相成候処、去ル七ケ年前天保七申年中女房貰受遣し既ニ当年五才ニ相成候男子有之、然ル処光五郎義素々農業不情放蕩者ニて昼夜遊歩行、私并継母江も殊の外不孝者ニて兎角家内ニ取止り落付居不申、名住所不相知放蕩無頼の溢者共と懇意二立交、是迄私より厳敷異見教諭差加候得とも更ニ不取用、此上とも於行先々ニ何様の悪事仕出し可申哉後難の程も難斗安心不仕行末無覚束、依之御地頭所様江帳外御願奉申上度旨組合親類共江相談いたし、名主差添着帳御願申上度趣願出候得共、取敢呉不申左候浊捨置候てハ前書の通不身持増長仕候光五郎ニ御座候得ハ、誠以持余し無是非始末有体申立奉願候間、何卒以  御慈悲組合親類名主迄被召出、前顕光五郎放蕩の次第ニ御座候得ハ、俱々調印いたし帳外御願いたし呉候様被為仰付被下置度御聞済の程奉願上候、以上
       御知行所
        武州足立郡本宿村
天保十三寅年正月   願人
          組頭 万 次 郎㊞
 御地頭所様
    御役人中様
解説 妻子まである三〇歳の息子光五郎の放蕩に困惑した父親の万次郎は、五人組の組合や親類と相談し、村の宗門人別帳から息子を除籍する帳外しを名主に申し出たところ取上げてもらえなかったので、直接地頭所に願い出たものである。
帳外しは一般に欠落、勘当、義絶などが原因で村の宗門人別帳から除籍することで、以後その者が犯罪を犯しても連帯責任を問われることはなかった。ただし、これは重大な事として領主の許可が必要であったので名主も簡単に取上げ、地頭所へ申し出ることを避けたのかも知れない。

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