北本市史 資料編 近世
第2章 村の生活
第1節 土地と農民
2 分郷と越石
80 天明三年(一七八三)十二月 分郷申渡の事(本宿 岡野正家文書二一)
申渡の事
武州足立郡本宿村ハ是迄下石戸下村に順し、諸納物等右村方江納御伝馬等も其村に随ひ候所、諸夫二重に成失墜多く惣百姓難義に付、此度願出候趣にまかせ、本宿村持高百石に分郷申付候、然る上ハ公儀御用は不及申、地頭所用事其外御触事等無遅滞可相勤事
一諸年貢等申渡候日限を限り無滞相納可申事
一桶川宿助郷人馬差出し候儀直触に相成候上ハ、問屋より当触次第大切ニ可相勤事
一村内出入出来致候節は、村役人立会の上無等閑相紅無麁略取斗、其上ニて不相済義は村役人添翰を以可申出事
右の条々可相守者也
地頭 ㊞
原 田 蔀 ㊞
天明三癸卯年十二月 橋本文左衛門 ㊞
福岡 登志満 ㊞
武州足立郡
本宿村
名 主
組 頭江
惣百姓
解説 この資料は、享保十六年(一七三一)の分郷後五〇年余を経た天明三年(一七八三)、下石戸下村の地頭牧野氏から本宿村に対し、正式に高一〇〇石の分郷が許可されたことを示す文書である。それによると、分裂以後も貢租をはじめ助郷等すべて下石戸下村を通して行われていたが、二重の負担で百姓が難儀するということで本宿村から願が出され諸事滞りなく勤めることを条件に、願の通り分郷が認められたことがわかる。
末尾の地頭とは牧野氏のことで、原田部以下は牧野氏の用人である。