北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第1節 土地と農民

3 荒川通流作場一件

87 寛保三年(一七四三)十二月 下石戸上村下沼入会支配につき請書
  (下石戸上 吉田眞士家文書六一)
(表紙)
「   寛保三年
   一 札 の 事
    亥十二月
                」
      入置申一札の事
一此度下沼の儀、銘々割取地所相極メ御検地請申候得共、土地悉ク甲乙御座候ニ付御検地請候、以後ㇵ入会支配可致段相定申候、御検地以後御年貢被仰付候ハゝ、古田畑反別ヲ以御割付御取立可被下候
一入合ニ支配致候内駄賃或ハ由所奇々ニて猥リ他村江土取候儀決て致間敷候、若シ万一左様成儀も見付候ハゝ、相互ニ致吟味為過料鐚五百文急度差出シ可申候、見逃致脇より相知候ハゝ是又当人同前の過料可指出候、若シ末々至り無拠銘々支配ニ被仰付候ハゝ、又候地所組合甲乙無之様相極可申候事
右の通惣百姓立合相談ヲ以相極候上ハ少も違乱申間鋪候、縦如何様の儀御座候とも惣百姓相続ニ付相定候上ハ、貴殿江少も御苦労掛申間鋪候、為後日連判致置申候如件
            次右衛門 ㊞
          (以下八六名略)

解説 資料86は、下沼流作場の入会支配に関する下石戸上村一同(九一名)の連判帳である。
つまり流作場の土地は、古田畑の反別高に応じて銘々に配分し絵図に記載したが、土地の善悪の差が大きいので相談の結果村中入会とすることに決まった。そこで、どこが当たろうともお互いに異存ないことを確認しあったものである。
また資料87は、そのことに関して村方一同から名主吉田氏へ差し出した請書である。それによると流作場は過日の約定どおり入会支配とするので、検地後年貢が課せられたら古田畑の反別によって割り付けてほしいこと。勝手に土を取ったり、それを黙認じた場合ば罰金として五〇〇文を徴収すること。後日止むを得ず銘々支配となった場合には、不公平のないように改めて土地を配分しなおすことなどが自治的に定められている。

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