北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第1節 土地と農民

3 荒川通流作場一件

90 寛政六年(一七九四)五月 下石戸上村下沼流作場内割反別書上帳
  (下石戸上 吉田眞士家文書五九九)
(表紙)

  寛政六年       足立郡
 流 作 場 内 割 反 別 書 上 帳
    寅五月       下石戸上村
                   」

壱番
一芝畑壱反壱畝廿四歩   源左衛門 ㊞

弐番
一芝畑壱反四畝拾八歩  次郎右衛門 ㊞

三番  (貼紙)「九畝三歩」
一芝畑六畝廿四歩     三左衛門 ㊞

四番
一芝畑壱反壱畝三歩   利 兵 衛 ㊞

五番
一芝畑九畝弐拾壱歩    重右衛門 ㊞

六番
一芝畑壱反壱畝廿四歩   太郎兵衛 ㊞

七番
一芝畑壱反五畝拾弐歩  六 兵 衛 ㊞

八番
一畑弐反四畝三歩    源   内 ㊞
三ノ位

九番
一畑壱反壱畝九歩     伊右衛門 ㊞
一ノ位

十番
一畑壱反歩       権 兵 衛 ㊞
弐ノ位

拾壱番
一畑八畝九歩      長 太 郎 ㊞
弐ノ位

拾弐番
一畑壱反五畝三歩    庄   蔵 ㊞
弍ノ位

三番
一芝畑壱反廿四歩    勘 三 郎 ㊞

拾四番
一芝畑八畝六歩      武右衛門 ㊞

拾五番
一芝畑弐反三畝廿七歩  重 兵 衛 ㊞

拾六番
一芝畑壱反弐畝拾五歩  伝 兵 衛 ㊞

拾七番
一芝畑七畝弐拾四歩   四郎左衛門 ㊞

拾八番
一芝畑壱反拾五歩    権 兵 衛 ㊞

拾九番
一芝畑壱反五畝拾八歩  善 兵 衛 ㊞

廿番
一芝畑六畝六歩     真 福 寺 ㊞

弐拾一番
一芝畑壱反六畝六歩    源左衛門 ㊞

右の寄

 畑壱反壱畝九歩  此取反ニ永四拾文

 畑三反三畝拾弐歩 此取反ニ永三拾五文

 畑弐反四畝三歩  此取反ニ永三拾文

 芝畑壱町九反弐畝廿七歩 此取反二永廿四文
(貼紙)
 「内四反弐畝六歩 寛政七卯御高入」
外ニ
 秣場六反七畝拾弐歩

右は足立郡下石戸上村反高場内割反別書面の通御座候、 尤此帳面少も相違無之様銘々畑番附反畝歩名前相記、壱弐三の位付を書札建申候、境目紛敷所他村入組の地境等、先達より双方立会境目杭木打置申候、此帳面相違仕候歟其外麁末成義も御座候ハゝ、何分の越度ニも可被仰付候、以上

  寛政六年
     寅五月
         同後 勘   七 ㊞
 
 牧野中務知行所  同  久右衛門 ㊞
 下石戸上村
 名主 専  助 ㊞ 同 向十右衛門 ㊞
 組頭 藤 五 郎 ㊞ 同  伊之助 ㊞
 同  源左衛門 ㊞  同  三 平 ㊞
 同  与右衛門 ㊞  同  忠兵衛 ㊞
 同  作右衛門 ㊞  同  半之丞 ㊞
 同  平右衛門 ㊞  同南 七左衛門 ㊞
 同  七郎右衛門 ㊞ 同  幸 助 ㊞
 同  次右衛門 ㊞  同  惣兵衛 ㊞

月番組頭代 甚五兵衛 ㊞ 同  平次郎 ㊞
 百姓代 甚三郎 ㊞  同 太右衛門 ㊞
 同  七 兵 衛 ㊞ 同  専 蔵 ㊞
 同  小右衛門 ㊞  同原 庄兵衛 ㊞

 浅岡彦四郎様
     御役所

解説 『新編武蔵風土記稿』の下石戸上村の条には、寛政六年(一七九四)代官浅岡彦四郎によって新田検地が行われたと記されている。
この資料は、検地に先立ち下石戸村から代官所へ提出された下沼流作場の内割反別書上帳であるが、それによると畑六反八畝二四歩・芝畑一町九反二畝二七歩・秣場六反七畝一二歩となっている。
この場所は寛保二年(一七四二)の大洪水の際大被害を受けたが、その後も荒川の土砂の堆積による河床の上昇などにより頻繁に洪水をくり返した。近い時でも寛政三・四・五年(一七九一~三)と被害の大小はあれ、毎年のように洪水に見舞われていた所である。しかし、このような場所さえも見逃さず、翌寛政七年(一七九五)には、その一部を村高に組み入れ、天領として年貢増徴をはかっていったのである。

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