北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第2節 年貢の納入

1 年貢割付状

94 享保四年(一七一九)十一月 本宿村年貢割付状
  (本宿 岡野正家文書一四)
    亥年貢可納割付の事
一高五拾八石四斗六升八合    本宿村
  此反別弐拾壱町九反五畝拾歩

    此訳

上畑三町壱反九畝三歩   反百拾文取
     内三反      検見引
  残弐町八反九畝三歩
    取永三貫百八拾文

中畑三町七反八畝拾八歩  反九拾五文取
     内四反      検見引
  残三町三反八畝拾八歩
    取永三贯弐百拾七文

下畑拾町七反壱畝弐拾四歩 反八拾文取
     内壱町      検見引
  残九町七反壱畝弐拾四歩
    取永七貫七百七拾四文

下畑壱町八反四畝歩    反五拾文取
     内弐反      検見引
  残壱町六反四畝歩
    取永八百四文

下畑壱町三反弐畝歩    反四拾文取
     内弐反      検見引
  残壱町壱反弐畝歩
取永四百四拾八文

屋舗壱町九畝弐拾五歩   反五拾文取
  取永壱貫七百五拾七文

 永合拾七貫百八拾文

   外
  一永三拾弐文      綿弐割出
  一永八拾弐文      林銭

右如此相定上は籍月廿日を切て可令皆済、若夫過於無沙汰は急度可申付者也
       三上蔵人内

享保四己亥年十一月日 小野元野右衛門 ㊞
           福井清 五 郎 ㊞


              本宿村
               名 主
               惣百姓

解説 この資料は、地頭三上氏の用人から本宿村の知行所に発給された年貢割付状である。
それによると本宿村五八石余(二一町九反五畝一〇歩)は皆畑であり、この年はそのうちの二町一反歩、永一貫六九〇文(一一%)が、検見の結果年貢を免除されていたことがわかる。しかし年貢は領主の死活に関する問題だけに、この年免除された分は減免ではなく、後日利子をつけて返済しなければならなかったはずである。
このように年貢割付状は、年貢高はもとより年貢率、田畑の地目別等級別の反別、荒引の様子がわかるし、各年のものを揃えれば右の指標についての変動を知ることができる。しかし旗本領の多い市域の村々には年貢割付状は皆無に近い。このことは単に伝存されなかったからとも考えられるが、むしろ旗本領では悪化した財政を「勝手方賄い」と称する村役人や有力農民に委任したり、年貢先納等により割付状の発給そのものがなされなくなったのではないだろうか。

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