北本市史 資料編 近世

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 近世

第2章 村の生活

第2節 年貢の納入

2 年貢皆済目録

98 天保十五年(一八四四)正月 下石戸上村新田年貢皆済目録
  (下石戸上 吉田眞士家文書一五〉
      卯御年貢皆済目録
高八斗九升    武州足立郡下石戸上村
反高弐町壱反九畝拾五歩
一 永壱貫六拾八文三分      本 途
  内永九百五拾四文八分  反高
一 永三拾四文         小もの成
一 永三拾三文壱分        口 永
一 米壱合         御伝馬宿入用
 此斗立一合  但卯冬御張紙直段三両増
  代永壱文壱分 米三拾五石二付金三拾九両替
一 米弐合         六尺給米
 此斗立弐合
  代永弐文弍分     但、右同直段
一 永弐文弐分       御蔵前入用
納合永壱貫百四拾文九分     包分銀
   外永壱文
一 永三文           川々国役
一 永弐文弍分         琉球人国役
都合永一貫百四拾七文壱分
右は去卯御年貢本途小物成其外共書面の通就令皆済、小手形引上一紙目録相渡条重て手形差出とも可為反古者也
天保十五辰年正月    大善太郎 ㊞
        右村
               名 主
               組 頭
               百姓代
解説 この資料は、代官大熊善太郎から発給された下石戸上村新田の年貢皆済目録である。
『新編武蔵風土記稿』に「西の方荒井村を隔て荒川岸に少しばかりの新田あり、寛政六年(一七九四)浅岡彦四郎検地し下石戸村新田と称す。本村持添にして御代官所なり」とあり、翌七年高入となった。
本途とは見付畑(下々畑より悪地)四反四畝一五歩と畑二町一反九畝一五歩にかかる本年貢のことをいい、小物成とあるのは雑税の総称で、ここでは秣場永(田畑の肥料や牛馬の飼料などの採集を目的とした原野にかかる税)をいう。御伝馬宿入用とは、五街道の宿駅運営上の諸経費にあてるもので高一〇〇石につき米六升、六尺給米とは幕府の台所人夫の給米にあてるもので、高一〇〇石につき米二升、御蔵前入用とは幕府の浅草御蔵の諸入用にあてるもので、高壱〇〇石につき永二五〇文と公定されている。この三つは高掛三役と称され天領農民だけに課せられたものである。
また川々国役とは、関東筋の諸河川の普請金であり、琉球人国役とは琉球からの使節に対する接待費である。琉球は慶長十四年(一六〇九)の島津氏出兵により服属し、以後将軍の代替りごとに使節を江戸に送り、祝賀と服属の意を示した。幕府は同国の服属を民衆に印象づけるため、莫大な出費をして歓迎したので財政を圧迫した。そこで朝鮮通信使の場合と同様に、東海道諸国村々から国役として徴収したのである。
なお御張紙値段とは、幕府公定の米と貨幣の換算率のことであり、これに基づいて御伝馬宿入用も含めすべて金納されていたことがわかる。

<< 前のページに戻る