北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第3節 産業と金融

6 質屋・頼母子講

126 文久三年(一八六三)十一月 上中丸村忠蔵新規質屋組入許可願
  (下石戸上 吉田眞士家文書三一)
  乍恐以書付奉願上候
     日下部権左衛門知行所
       武州足立郡上中丸村
           百姓
一持高拾弐石余     忠  蔵
  家内八人
右は金銭為融通の今般新規質屋組入奉願上度、村方并ニ同渡世の者江遽(すみやか)示談候処、聊故障筋無御座候間、何卒格別の以 御慈悲新規質や組入被 仰付被下置候様奉願上候、以上
        右村 
 文久三亥年十一月日 百姓 忠  蔵 ㊞
           名主 丈  輔 ㊞
 関東御取締
   御出役中様
前書の通り奉願上度候間、御廻村の節願書御差出シ被下新規質屋組入ニ相成候様御取斗奉願上候、以上
          右村
           百姓 忠  蔵 ㊞
           名主 丈  輔 ㊞
   大小御惣代中様

資料126 上中丸村忠蔵新規質屋組入許可願

(下石戸上 吉田眞士文書)

解説 庶民の金融機関である質屋は、当初、主に質地を担保としたが、農村への商品経済の浸透により、衣料をはじめとする雑品も取扱うようになり、ややもすると農民生活の崩壊を招く危険があったので、幕府の取締りは厳しかった。文政の改革触の中でも農間余業に精を出し過ぎ農耕を怠ることのないように戒めている。
本資料は上中丸村の百姓忠蔵が新規に質屋を開業したい旨を関東取締出役に願い出た許可願いである。これによるとすでに村内には質屋営業の者がおり、組合を作っていたようで各組合員と村役人の承諾を得た旨を明記している。農村では財力ある者の仕事で、この忠蔵も一二石余の高持百姓である。また、この書類は、改革組合の惣代を通じて廻村して来る関東取締出役の役人に提出しており、経済統制をも大きな任務とする出役の実態を示している。

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