北本市史 資料編 近世

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 近世

第2章 村の生活

第3節 産業と金融

6 質屋・頼母子講

127 安政六年(一八五九)九月 馬室村平七頼母子講金借用証文
  (深井 小林恒一家文書六)
     借用申金子証文の事
一金五拾両也      但通用金也
右は此度頼母子講落䦰(くじ)ニ付、前書金子只今慥ニ請取借用申処実正ニ御座候、此金返済の儀は三月・六月・九月年々三度、壱会ニ付金五両宛満会迄無相違掛送り可申候、若定日掛金及遅滞候ハゝ加判人引請懸返し、御連衆中江少も御苦労相掛ケ申間敷候、万一相滞候節は組合の内唯成共落䦰の節講金ニて御引落被成候共、決て否哉申間敷候、為後日の連印借用証文入置申処如件
        馬室村
         借用人 平   七
 安政六未年九月日     糠田村
         加判人 藤 次 郎
        同村
         同   安 太 郎
        鴻巣宿
         同   忠右衛門
         同   惣   八
         同   常   吉
         同   七 兵 衛
        宮前村
             清   八
        上谷村
         同   栄   蔵
        菖蒲町
         同   乙 兵 衛
        種足村
         同   又左衛門
        樋川宿
         同   平   助
         上常光村
           宇 兵 衛 殿
           御 連 中 殿
解説 頼母子講は、鎌倉時代に人々が集まり少しずつ出し合ったお金や穀物を仲間の困窮者に融通し、救済したのが始まりという。江戸時代には経済的講集団として、親と呼ばれる発起人と数人から数十人の仲間を集め、定期的にそれぞれ引受けた口数に応じて金品の掛け込みを行い、くじ引き、入札などの方法で順次金品の給付を受ける仕組みで、商工業者の営業資金、一般庶民の居宅、物品購入の資金調達に利用される庶民金融組織として発達した。
この資料は、馬室村(現鴻巣市)で酒造業を営む平七が頼母子講金五〇両を借受けた借用証文である。資料によれば証文の宛先が上常光村の「宇兵衛殿・御連衆中」となっているので講親は上常光村の宇兵衛と思われる。この借用金は平七の営業資金とも考えられるが連帯保証人である加判人がかなり広範囲であり、同業者かも知れない。返済は年三回五両ずつ、足かけ四年で全額返済となる。

<< 前のページに戻る