北本市史 資料編 近世
第2章 村の生活
第3節 産業と金融
7 質地証文
130 文化九年(一八一二)九月 下石戸村平右衛門質地田畑証文(北本市教育委員会収蔵)
質地田畑証文の事
一下田弐拾四歩 さぬきや
米三升弐合
一下畑廿五歩 同所
永六文五分
一下畑壱畝壱歩 同所
永八文六分
一下畑壱畝廿四歩 同所
永拾四文四分
右は当申御年貢御上納ニ差詰り、右畑貴殿方江質地ニ入置文金五両弐分唯今借用仕候処実正也、但シ年季の儀は当申九月より来ル亥九月迄中三年季ニ相定メ申候、年明キの節請兼候ハ、此証文ヲ以末々迄御支配可被成候、何拾ケ年過候共右金出来候節は無相違御返可被下候、御年貢諸役の儀は貴殿方ニて急度御勤被成右田畑御所持可被成候、右の田畑二付親類組合は不及申二外より故障一切無御座候、為後日質地証文仍て如件
下石戸村
田畑主 平右衛門 ㊞
同村五人組惣代
文化九申九月 善 八 ㊞
同村親類
平 七 ㊞
高尾村組頭
友 八 ㊞
同村名主代組頭
重 次 郎 ㊞
北原
おまきとの
解説 本資料は下石戸村の平右衛門が下石戸上村字北原のおまきに宛てた質地証文である。さぬきや(讃岐野)にある一筆の田二四歩と三筆の畑三畝二〇歩を文金(後述)五両弐分で質入れした。年季は通例の三か年となっている。年季が明けても借用金が返済できない時は、質流れ地となり所有権が移るが、何十年後でも借用金が返済できたら、田畑を返してもらう契約内容である。しかし、多くの場合は請返すことができず質流れ地となった。こうして土地の集積が行われ農民の階層分化が進むことになる。
なお、保証人に高尾村の五人組総代と同村名主が名を連ねているが理由は不明である。あるいは土地が両村にまたがっていたのかも知れない。