北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第3節 産業と金融

7 質地証文

134 宝暦三年(一七五三)三月 鉄砲宿治左衛門讓渡の田地手形
  (埼玉県立文書館所蔵 鴻巣市 藤井真家文書)
     譲り渡申田手形の事
上田壱畝弐拾九歩   水入新田
          組入
上田三畝五歩     同断
右是ハ去ル申御年貢御上納ニ相詰り、右の田貴殿江譲り渡申候、為此悦卜金子弐両弐分只今慥ニ請取御年貢御上納仕候処実正也、然上ハ当酉年より御年貢諸御役貴殿方ニて御勤可被成候、此田ニ付横合より構申もの無御座候、若六ヶ敷儀申もの有之候ハゝ我等加判の者何方迄も罷出御申分ケ仕、貴殿江少も御苦労懸ケ申間敷候、為後日譲り証文依て如件
        鉄砲宿
         田主 治左衛門  ㊞
宝暦三酉ノ年   証人 小左衛門  ㊞
     三月  組頭 三郎兵衛  ㊞
   孫右衛門殿
解説 本資料は、荒井村の北東隅で原馬室村に接する鉄砲宿の治右衛門が自分の田二筆計五畝四歩を滝馬室村の孫右衛門に二両二分で譲り渡した証文(手形))である。
寛永二十年(一六四三)、幕府が発した田畑永代売買禁止令を公然と破って、田畑を売買している例で、質流れが一応合法的なのに対し、完全に法に違反している。江戸時代後期になると統制がゆるみ無法の事実が行われたことを示す資料である。

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