北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第3節 産業と金融

8 借用金・借地

136  弘化二年(一八四五)三月 本宿村進右衛門年賦借用金証文
  (本宿 岡野正家文書六九)
     年賦金証文の事
金六両也      但し通用金也
 此引当
 中畑弐反九畝拾八歩 但し御水帳面通り
 下畑八畝拾八歩
右は当巳御年貢諸払方ニ差支候ニ付、前書の金子唯今慥ニ借用申処実正也、但し返済の儀は由緒も有之候ニ付、別段の思召を以当巳年より未年迄三ヶ年賦二相定、年々十一月十日限り金弐両宛急度返進可仕候、若シ相滞候ハゝ加判の者立会右書入地面を以埒明貴殿江少も御苦労相懸申間敷候、前書約定仕候上は万々一壱ケ年ニても及遅滞候ハゝ入金の分ハ御定メの利足ニ引去り本金を以御申立被成候共其節一言の異儀申間鋪、為後日加判連印致し置申処如件
  弘化二年
巳三月         本宿村
            借用人
              進右衛門
            親類組合
              彦 四 郎
            組頭証人
              辰 五 郎
   鴻巣宿
  仙左衛門殿
解説 本資料の内容は質地証文と大きな違いはないが、書式が変わっている。
すなわち、借用金が六両、その引当(抵当)として畑を書上げ、向う三か年で二両ずつ返還することとし、もし一年でも滞ったらそれまでの入金の中から利息分を差引くこと、そして返済できない場合は抵当の畑で精算するという借用金証文の形式をとっている。
なお、畑の面積の下にある「御水帳面通り」は、土地台帳である検地帳(水帳)に記載されている公式の面積であるとの断り書きで実測値と多少異なる場合があったため、わざわざ書いておいたものである。

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