北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第5節 宗門と戸籍

村落内に生活する住民の世帯数とその家族について、詳しいデーターを掌握することは為政者にとって不可欠の条件である。
江戸時代の人口調査は人別改めと呼び、全国的には享保十一年(一七二六)、八代将軍吉宗によって始められた。労働力の把握が主眼であったという。
一方、キリスト教禁制の徹底を図るために幕府直轄領で寛永十七年(一六四〇)に始められた宗門(宗旨)改めは、寛文四年(一六六四)には全国的に行うよう布達が出された。この宗門改めは、戸主以下の家族、奉公人の名前、年齢、旦那寺が書かれているため、人別帳とひとつになり、宗門(宗旨)人別改帳と呼ばれ、村の戸籍簿としての役割を果たした。資料156のように五人組帳とひとつになっているものもある。
したがって、村民の転出入はすべてこの帳簿に記載される。他村への転出には名主から名主へ「送り一札」、寺から寺へ「寺請証文」が発せられ、転出先からは「落着一札」が返って来て完結する仕組みとなっている。
しかし、家族で移住が認められなかった江戸時代では、一家をあげて養子縁組をしたり、欠落ちなど非合法的な方法が取られたが、行方不明に対しては、五人組の連帯責任体制をフルに活用し、三〇日をひと区切りとし180日間の捜索を命じ、それでも行方が判らないときは、宗門人別帳から除く帳外しの処置が取られた。
為政者の末端機関である名主は、常に村民の動静に目を見張っていなければならなかった。

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