北本市史 資料編 近世

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第2章 村の生活

第5節 宗門と戸籍

2 人別送り状

157 文政十三年(一八三〇) 男衾郡勝呂村より北袋村へ人別送り状
  (北本市教育委員会所蔵)
     送り一札の事
村方永次郎娘やす当寅十六歳ニ相成候、同村与三郎仲人ニて其御村方鍋次郎殿妻ニ差遣し申候処相違無御座候、然上ハ此方宗旨人別帳而相除キ申候間其御村御宗門帳面ニ御加可被下候、此方宗旨ハ鉢形町浄土宗浄福寺旦那ニ紛レ無御座候、寺送りの儀ハ何時ニても差遣し可申候、為念送り一札仍て如件
文政十三寅年
      大嶋左京知行所
        武州男衾郡
         勝呂村
          名主 金右衛門 ㊞
  北袋村     
    御名主  平兵衛様

資料157 男衾郡勝呂村より北袋村へ人別送り状

(北本市教育委員会所蔵)

解説 この資料は、武州男衾郡勝呂村(現比企郡小川町勝呂)の永次郎の娘やす(一六歳)が市域北袋村の鍋次郎に嫁入りするに当たって、勝呂村名主金右衛門から北袋村名主平兵衛宛に発行された人別送り状である。
この者(やす)を村の戸籍台帳である宗旨人別帳から除籍するからそちらの村の宗旨人別帳に入籍してほしい、また宗旨はキリスト教ではなく鉢形町の浄土宗浄福寺の信徒に間違いなく、必要なときはいつでも寺の証明書(寺請証文)を送ると書かれている。
このように人別送り状は、現在の転出証明書であり、江戸時代に嫁入り・聟入り・養子縁組などにより、他村の人となる場合発行されたものである。
なお、この資料のように宗旨まで通知する場合と宗旨については旧旦那寺から新旦那寺 へ「寺送り状」が発行される場合とがある。
宗旨については、新旧の旦那寺の宗旨が異なっていても一切かまわず自動的に先方の旦那寺の信徒となった。
以下いくつかの事例を挙げてみた。
資料158は聟入り、資料159は養子縁組、資料160は養子とは言いながら夫婦と子ども三人の家族ぐるみである。資料161は市域上宮内村から篠津村(現桶川市篠津)に嫁入りした際発行されたもので、市外に残されたものである。

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