北本市史 資料編 近世

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第3章 街道と河岸

第1節 街道

6 明和伝馬一揆

191 明和二年(一七六五)正月 桶川宿増助郷につき村柄御糺取止め触書請印
  (埼玉県立文書館収蔵 坂戸市 林茂美家文書)
御触書写
先達て中山道桶川宿増助郷為糺御代官手代共差遣村柄等相糺所、右糺の趣不及御沙汰間可得其意者也
但、此触書に銘々名主・組頭・百姓(代脱力)承知の印形致、留りの村より宿送りを以弾正宅江可相返候
酉正月五日 弾正御判
      筑後御判
      武州足立郡 弐か村
      同国埼玉郡 七か村
      同国比企郡 三拾か村
      同国入間郡 廿六か村
      同国高麗郡 四か村
   都合六拾九か村
      右村々名主
      紙頭
      百姓(代脱力)
右御触書の趣御本書拝見難有奉承知候、依之村々名主・組頭・惣百姓代連判御請印形差上申候、以上
 武州足立郡 荒井村技郷
 北袋村
 名主 専右衛門
 組頭 金 弥
同国埼玉郡新堀村同国同郡小林村
同国同郡柴山村右同村内丸谷
同国同郡荒井新田同国同郡下大崎村
同国同郡上大崎村同国比企郡山谷戸村
同国同郡牛谷戸村同国同郡紫竹村
同国同郡上新堀村同国同郡吉原村
同国同郡表村同国同郡下郷村
同国同郡大屋敷村同国同郡下大屋敷村
同国同郡曲師村同国同郡西谷村
同国同郡出丸本村同国同郡出丸中郷村
同国同郡下狢村同国比企郡上狢村
同国同郡釘無村同郡 角泉村
同 同郡安場(塚カ)村同 同郡飯島村
同 同郡平沼村同 同郡宮前村
同 同郡井草村同 同郡下伊草村
同 同郡上伊草村同 同郡中山村
同 同郡白井沼村同 同郡上八林村
同 同郡下ハツ林村同 同郡一本木村
同入間郡小沼村
解説 この伝馬一揆とは、明和元年(一七六四)閏十二月から翌二年正月にかけて武蔵・上野など四か国の農民約二〇万人が、幕府の計画した中山道宿駅の助郷村の増加に反対して蜂起した大規模な農民一揆である。
一揆の経過及びその内容は、明和元年閏十二月十六日、児玉郡十条村(現美里村)の身馴(みなれ)川畔の十条河原に結集した農民およそ―万八〇〇〇人が本庄宿に押寄せ、上州勢と合流し、道々深谷・熊谷各宿の増助郷村々の農民を加え、増助郷願出を支持した在郷有力者宅を破壊しながら、江戸へ向かおうとした。
これに驚いた幕府は、関東郡代伊奈半左衛門忠宥に命じ、これを取り鎮めようとした。そこで、急拠桶川宿に派遣された伊奈氏の家臣宇田川喜兵衛らは、一揆代表を本陣へ呼び、助郷拡大の計画撤回を伝え、ようやく騒動の鎮静に成功した。
本資料は、一揆発生後の明和二年正月五日付の道中奉行から、各増助郷村々に宛てた触書写しである。
これによれば、助郷指定の基礎資料とするため先般命じた村柄御糺は、増助郷中止につき取り止める旨触れている。
市域では、荒井村枝郷北袋村の名がみえている。

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