北本市史 資料編 近世

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第3章 街道と河岸

第1節 街道

7 有君様御下向

193 天保二年(一八三一) 九月有君様御下向下石戸上村諸書留
  (下石戸上 吉田眞士家文書五五二)

資料193 有君様御下向下石戸上村諸書留

(下石戸上 吉田眞士家文書)

(表紙)

  天保二年
有君御下向書留
卯九月  横帳共五冊の内
            」
  (前略)
    間村々心得方申渡
 此度  有君様御下向ニ付、御当日は勿論前々日より掃除持場のむらhあ入念掃除いたし見分請可申事
間々村壱村限松明弐拾本或は拾五本位宛用意致置、追越荷物夜中通行の節差支無之様可致事
村内往還附家作の者は二階の戸〆切目張いたし可申事
 但、草履草鞋は勿論都て商ひ物等見苦敷品は見世先江つるし置申間敷候、第一火の元大切ニ相守御当日御通輿差掛煙等不出様可致事
往還附家々ニては寄麗成手桶ニ水を入柄杓相添軒別ニ出置可申事
御当日村内の者往還附家々江罷出、酒□□(虫損)申喧嘩口論等不法の義無之様精々可致事
 右被 仰渡の趣逸々承知奉畏候、依之御請印形差上申処如件
         上 村
 天保二年    久保村
  卯八月    門前村
         下石戸下村
         下加納村
         下中丸村
         本宿村
山田茂左衛門様御手代
  永井幸之進殿
    (下略)
解説 この資料は、天保二年( 一八三一)有君様(第 一三代将軍家定輿入)御下向に先だち、幕府 より出された触・達を書き留めたものである。「間村々心得方申渡」は、その中の一部で通行に先だち幕府より間の村々に対して出された巨細な心得申し渡し触状である。
これによれば、往還筋の村々では通行当日は勿論、前々日より入念に清掃をして検査を受けること、夜間、荷物の継立も差支えない様に松明(たいまつ)を用意して置くこと、二階の窓を締切り、目張りをすること、火元には十分注意をし、当日は煙などを出さないこと、きれいな手桶に水を入れ、柄しゃくも添えて出して置くこと、村内の者は、当日、往還筋の家々に来て酒を飲んだり、暄嘩口論をしないこと、等々を触れている。それに対し本宿村以下七か村は、請書を提出している。

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