北本市史 資料編 近世
第3章 街道と河岸
第2節 河岸
2 高尾河岸
203 享保四年(一七一九)十一月 高尾河岸船問屋御城米請負証文(埼玉県立文書館寄託 吉見町 新井康夫家文書)
請取申御城米の事
一 | 御米六拾俵 但三斗七升入 |
右は当亥御城米我等請負、新金壱分ニ拾七俵ニ相定、船積仕候上はぬれくつろき無之、舟中大切ニ仕浅草御蔵前へ水上仕、納名主方へ急度相渡可申候、為念一札仍て如件 |
八右衛門㊞
亨保四年亥
十一月十日 同 弥五兵衛㊞
久保田村
名主久太夫殿組
惣百姓中
解説 この資料は、享保四年(一七ー九)に高尾河岸船問屋八右衛門・同弥五兵衛から横見郡久保田村名主久太夫組の惣百姓中宛ての津出し年貢米請負証文である。
これによれば、一俵三斗七升入りの米俵六〇俵を、金一分で一七俵の割合で江戸浅草蔵前までの輪送を請負っている。その際、積荷を濡らしたり、荷くずれ等のないように運送することを誓っている。
なお、同様関連文書中には、このほかに新井河岸の名もみえている。資料中の瀬戸井河岸とは荒井(新井)河岸のことのようである。これらの文書は、享保四年(一七―九)から文政六年(―八二三)にかけておよそ百か年間の貴重な舟運資料として注目される。