北本市史 資料編 近世

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第4章 寺院と文化

第2節 文化

3 芭蕉句碑

220 嘉永四年(一八五一)冬 松尾芭蕉碑
  (石戸宿)
(碑表面)

         はせお翁
      原中や
       ものにも
        つかず
       啼雲雀

         渡学氷壺謹署

(碑裏面)
 はる風やほこりたつ野を人の行   鶯 遊
 増す音の曽良へ響けや秋の水   如 往
 その奥を見たき欲あり花の山   月 弓 
 芦の花とぶや小春の山のうへ   秋 呂
 蕣(あさがお)の根に咲き戻る名残かな   雙 枝 
 散る音をたてぬ流れや花のかげ   秋 水
 程の瀬もかくしけり秋の水   僢 月
  エト
 散り積る雪やその木のちからだけ   志 幸
 家遠き畑にも群る乙鳥かな   氷 壺
 通ふ日にほのぼの白し門の楳   不二丸
 鶯や松葉こぼるゝ雪のうへ   耕 玉
 この頃の夜の鎮りやほとゝぎす   保 内
 水鳥の楽々波たてる旭かな   松 月
 月なから眼立つ柳の螢かな   住 松
 水の増す花の吹くなり初さくら   有 水
  ノ本
 鳰の来て波をつくるや春の川   佛 村
  川コヘ
 ぬかる場は昼後へおくる茶摘かな   槿 斉
  川コヘ
 事足れぬ山家なれとも月とめん   其 石
  雲水
 とし〱に尊くなるや初しくれ   桑 弓
 田に水の自然に出来て初蛙   歩 月
       嘉永四年辛亥冬  石戸連
解説 市内には芭蕉翁の句碑が二基ある。市域に接する川田谷村(現桶川市)には、与野の俳諧師鈴木荘丹(一七三一~一八一五)と師弟関係にあった高柳菜英という俳諧宗匠がおり、この地域は俳諧の気運があったところである。そこで俳句をたしなむ人々が、俳聖芭蕉の句碑を建立して自分達も作句の上達を祈願したものであろう。
資料219はかつて荒井の花見堂にあったとのことであるが、現在は岡野とく氏宅でたいせつに保存している。高さ一一〇センチメートル、幅七五センチメートル、厚さ一一センチメートルの根府川石に刻まれている。なお、碑面裏の俳人をみると、江戸、京都といった遠方の人も含まれているが、熊谷、鴻巣、騎西、菖蒲の人々である。
資料220については、石戸宿の俳人たちの石戸連が建立したもので、この句碑は石戸連の一人氷壺の書である。この句が選ばれたのは、この附近では麦畑がひろびろと広がり、雲雀がのどかに舞い上がるさまがよくみられるところからであろうか。

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