北本市史 資料編 近代

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第1章 政治・行政

第1節 近代行政のはじまり

1 維新激動期

13 明治三年(一八七〇)九月 会所取建主意書管内小民共へ告諭
  (鴻巣市 藤井真家文書一四)
(表紙)
「会所取建主意書
 管内小民共江告諭
  明治三庚午九月写之者也
           原馬室村」
  会所主意書
今度会所を取立る主意第一ハ  朝廷の御旨を村々小前に至る迄細かに早く直せしめ、末々小前の情を残なく速に県庁江聞へしめて内外上下の事を洩なく互に情を通ハせんが為なり、上ト下ト余りはなれ居ては村々末々為にせんとて申出す事も其場にて既ニ功の顕れぬ事ハ却て情けなき事と思ひ恨ミそしる者も有へし、譬ハ子を育てる事も好む物を与へさせ、遊びたき儘に遊ハせ置てハ成人の後為にならぬ故に、泣ともかなしむ共厳敷いましめ、灸ハあつく薬ハ苦けれども病の為にハ強て用ひさせる類ひにて、此後触示す事一々村々の者共の其時に悦ぶ様に斗(討カ)りならぬ事も多(か脱)るべき、亦相応に道理の分りたる者ニても世の中を広く見ず今日の世の中の様々うときよりして一時疑ひを生する事も有へし、又上より下を見る事も願ひ出訴に出る者の外ハ一向に何事も聞ひざれバ末々の善し悪し事分らぬように成行て世話の届かぬ始め共なりぬべし、是等ハ上と下と隔つ故なり、されバ此会所ハ其隔ちたる間に階子を掛ケ置上り下りして相互に通し易からしめん為なり
一第二にハ諸事一様にならされば宜しからず、此故に銘々の戒しめ一組合の者同体ならしむが為なり、其事ハ追々に分るべし
一第三にハ凶荒の備をなさしむるが為也、■作凶年と言ハ天地の間に必遁るへからさる禍にて大凶ハ三拾年ニ一度、小凶ハ拾年ニ一度■作ハ五年ニ一度位宛ハ古来定りて有事故、三拾年の間等ニハ必二三年田畑皆無ニ成りたり共食物丈ケハ有様ニ備置、十年の間ニハ一年位譬ひ採る物なく共恐れぬ様ニ致し置、五年の間ニハ半作の年柄に出会いたり共窮民の無き様ニ常々覚悟をせねばならぬ事也、去れは此備の事ハ和漢共に古しひより色々法を建ても兎角行れ難く、上々備置時ハ下の者油断をなして業に怠り、下ニ備置けハいつの間にか其法崩れはてて忽ち跡形も無き様ニ成る事ハ何国何方の里も同様の事也、故ニ追々究理の上ニてハ現ニ自分々々の覚語(悟カ)を為しめ、夫を集めて上よりも採揚る事能ハず、下よりも自由に動し難きように上下の間ニ置ニ如ず、衆議を尽して如何成愚民ニも能分り易き様事をとる者も一厘一毛私の出来難き様ニ明らかに法を建、小前水呑ニ至迄月々の勘定を知り少しの曇りたる所なき様ニ規則を定べし、扨此積立金ニ二タ通り有べし、一ツには凶年の時ハ鱞(カン)寡孤独の必一村打寄て救わねハ成らぬ者あり、是は自ら備を為し難き者故其所の高持身柄の者の身ニ付たる事と知るべし、是天地自然の理ニて家ニ老人の有ニ同し、去れハ此備を為ニハ高持共常々其為ニ積金を致し置より外なし、又一ツにハ各一家の為に備を為る也、是ハ銘々家々に貯へ置べき筈なれ共、人情ハゆるみ易き物ニて末を遂る事究ミ難ければ人ニ預け置ニ如くハなし、又大家といひ共貯ハ沢山有ながら臨時の天災変難ニ遭時ハ覚語(悟カ)の外の事なれハ大いニ途を失ひ、終に一時の変より家々の産をも破るニ至る物なれハ、矢張平常別に備をなし置べき事也、是等ハ夫々預り金を致し正しく動かぬ法を建て知らぬ間ニ積金の嵩む仕方をなすべし、故ニ上ニいう窮民救助の備ニ積置分と一家の覚語(悟カ)に預ケ金を為すと、此ニツハ民政ニおいて欠べからさる事なれバ、能々衆人安堵を致す様ニ委敷法を建譬ひ惣代をはじめ役人共幾度入代るとも、又は県庁の官員如何様ニ変あるにも致せ、此事斗りは所ニ付たる大事故万代不易不動の法を設け、如何成る悪人成共私ニ手差のならぬ様ニ為べき也、是会所の監(肝カ)要と知るべし
一第四にハ勧農生産の為也、農にもかぎらず己が職業に怠り人の世話を受るより罪の大成ハなし、然るに上ニては悉く其怠る者励む者を知る事難ければ所において叱り悟し、又ハ讃め勧めて猶用さる者を県庁江訴ひ、衆に越て励む者ハ名前を申出べし、是勧農の一端なり、又其村を富すにハ不用の地所を開て新田ニ致し産業の無者を産業に有付せ、或ハ其地所に応したる品を新に植付或ハ是迄用さる犯し物をつかへ、試ニ買入方ニ別の仕法を立るにも組合の力を合セ衆人の見込を集めて世話をなさしむる時ハ何事もたやすく整べき事也、却て百姓一同の耳目を寄せ村々の中を都度々々衆人の智を集を(め)会所の主と心得べし
一第五ニハ村々の公事訴訟を諭し教るが為也、凡争事といふ物ハ多くハ道理を弁ぬ者のする事なれ共、中ニハ相応に心得たる輩も免れがたく、其故ハ人の事ニなれバ能筋道の分る者なれ共、己が慾情ニ迷ひて平常の智を暗し、一旦の怒に依て常の心を失ふ事人みな有事なり、去れハ誰聖人ならざれハ私心なき事能ハず、此私心の雲霧を払にハ多くの人の評議ニ懸け理か不理かを問定めて、夫にかかハらぬ人の見込ニ任するにしくハなし、増て愚民の筋も法も分らぬ者江ハ其情実を委しく知り居て能々解諭ニ如す、又中ニハ己れ非分と知りツツさま/\偽りを構ひ人をおとし入れんとする者ハ、土地江付近く其村内を聞糺ニ如ず、是等の類を扱ふハ県庁の事なれ共、僅の事ニ教日駅舎ニ宿り費も掛り又偽りも体ニ顕るるものなれ共数日を経る丈ヶの煩なり、此故に会所ニおいて事実を糺し衆人の見込を以て善悪を分け及ぶ丈ヶ諭し導き、其上ニて理非の分り難き分強情を張居て聞入ぬ分ハ其情実を委しくして奥印いたし、県庁江願ひ出す様ニする時ハ細かに其状情分り易く教誡も早く行渡るべし
右の通りニ候間、村々小前ニ至迄此主意心得違無之様可諭聞候、尚委敷仕法書は別ニ示すへきものなり
             御用会所
 毎年九月廿二日
今上皇帝御降誕之良辰二付、自今天長節と唱へ相俱ニ上下可奉祝旨被仰出候間、村々百姓末々ニ至迄当日職業を休、身分相応ニ太平可祝、社ニおいては益宝祚長久ヲ奉祈候様可致事
  年九月 太政官
右の通小前末々迄不洩様可相達もの也
 九月十七日 浦和県庁
  酉上刻    鴻巣御用会所役人
 大間村  八幡田村
 中野村  箕田村
 糠田村  宮前村
 小谷村  登戸村
 三丁免村 滝馬室村
 中井村  原馬室村
 三ッ木村 小松原村
 川面村  高尾村
 寺谷村  荒井村
 市縄村  右村々御名主中
 前書の通り被仰出候間、小前末々神職神□等の者江無洩御達し可成喉、此廻状刻付ヲ以順達
  九月十七日
             御用会所㊞

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