北本市史 資料編 近代

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第1章 政治・行政

第3節 大正期の村政

2 河川改修と水防
荒川の水は、埼玉県下の農民に対し水利上大きな利益を与えてきたが、特に氾濫による被害も多かった。なかでも明治四十三年八月の水害は最大で、これを契機として荒川の改修が同四十四年から開始されたが、改修工事は財政的問題もあり、なかなか進展しなかった。やがて大正二年八月にも水害が発生するが、これに対して県は道路修繕費の一部を補助したにすぎず、荒川の改修は遅れた。これに対して、県会が大正二年、同五年と工事年短縮速成の意見書を内務大臣に提出したほか、同四年には民間の足立荒川治水同盟による工事速成の陳情も行われ、ようやく同六年十一月より河川改修のための土地立入測最が同八年三月にかけて実施された(資料58)。同じく大正八年四月荒川筋河川台帳(資料59)が関係町村に縦覧され、河川法に基づく荒川改修工事が実施されることになった。資料60はこの荒川改修工事の土地買収について、水田沃地として時価に相当した価格で土地買収を行うよう内務大臣に求めた石戸村の請願書である。河川改修はこのように艘民の利害がからむ困難な工事であった。なお、荒川左岸では水害を防ぐため、下流の土合・美谷本・笹目・六辻の四か村で、大正七年民間の荒川左岸水害予防組合が結成されたが、北足立郡役所でも資料61の水防講演会や水防演習を実施して、水害予防知識の普及をはかった。

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