北本市史 資料編 近代

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第1章 政治・行政

第1節 近代行政のはじまり

6 自由民権
明治七年板垣退助らの民撰議院設立建白書の提出を契機に開始された自由民権運動は、早速埼玉県にも波及し、翌八年四月、熊谷に七名の豪農らによる民権結社七名社が設立されてから本格化した。各地に民権結社が設立され、政談演説会が、開催されていった。結社数は約四〇、演説会は約一四〇確認されている。収録した資料は、『埼玉自由民権運動史料』より、隣接市域で演説会が開催されるなど、当地方の民権運動の拠点となった鴻巣・桶川両地域の資料である。滝馬室村(鴻巣市)出身の民権家で立憲改進党員として県政で活躍した加藤政之助の指導によるところが大きかった。資料29の共同会は、北足立・北埼玉両郡の有力者により結成され、第十七区で二名の参加がみられる。結社大意で述べているように、天賦人権思想に基づく政治的自覚が伺える。初期の結社の七名社や進修会と同じく、地方自治の確立や国会開設が、演説会などで主要なテーマとなった。明治十四年、国会開設の詔の発布後は、結成された自由党・立憲改進党系の政談演説会が盛んに開催された(資料30・31・32・33・34・35)。当時北足立郡の改進党員は八三名で、うち市域では、宮内村大島牧太郎(二七歳)、北中丸村加藤縫次郎(三六歳)がいた。

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