北本市史 資料編 近代

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第1章 政治・行政

第5節 北本宿村の成立

1 戦時下の行政

78 昭和十五年(一九四〇)三月 県会の新分野に民政派の躍進
  (『埼玉評論』県立浦和図書館蔵)
    県会の新分野に民政派の躍進
      新人二十二名を挙げた県議選挙
二旬に亘る混戦の県会議員総選挙は一月廿五日投票、廿六日県下十三選挙区の開票所は十五会場にて一斉に行はれた。晴れの県政壇上を目指した七十九戦士の頭上に運命の断は下された。県下丗二万選挙民の輿望を担って当選の喜びに燦元た四十三戦士、万魁の恨を呑んで敗れた三十六候補とが決定の結果、その顔触れは政友十九名、民政十五名、国同一名、中立八名と云ふ新分野の出現であった。政友の先輩村山、本多、比留間、大谷、貫井の五氏が敗れ、国同の大先輩山崎氏の次点、民政の先輩鎌田氏等の敗れたことに於て見る時、如何に選挙民が今回は新人に期待をかけたかの感もあった。
これに依る県会の新分野は各派系中立を含む時、結局前回に比し政友一名を減じ、民派は五名の増加を見るであらう。再起議員廿八名中九名が敗れ、他に巨頭連が無念の淚をのみ、新人廿二名の出現は全く県政一新の時局に反映した感があった。思ふに県会開設以来六十有二年、この長年月の県会史であるから政党会派の分野も幾変遷、或は栄枯盛衰、浮沈消長只ならぬものがあったことは当然である。それが歴史の姿であった。
県会開設初期十有余年は民政党の前身と称すべき政進党の全盛時代であり、次いで十年ばかりは政友会の前身自由党の擡頭時代であったとも聞いてゐる。その後政党の大もの閥族対抗意識等々県会政派にも真に戦国時代と云ふ観も度々あったことを物語るもので、最近三十年来の状勢を掲げるならば、明治四十年の総選挙には政友十六、憲政本党十四、革新派四、中立六と云った分野で同四十四年は政友廿名、大正四年には政友が廿四名を占めてから政友派の絶対多数を維持して県会の主勢力を誇って来た。今玆に県会議員の選挙の回数を挙げて見ると、実に廿二回(半数改選を含む)従って議長の顔触にまで反映したもので、今回第廿三回総選挙後の次に決定さるべき新任議長は誰であらうか。

県下十三選挙区の状勢
◎北足立郡政友五名、民政五名、社大一名、養正一名計十二名の出馬を見た。定員を凌駕すること五名であるうち民政の配置に於て地盤割が都合よく政友では大宮の新藤氏と与野の井原氏、志木の村山氏と戸田の植野氏等の地盤があまりに接近しすぎた感があったので村山、植野両候補利あらず(民新)の田島氏、(政前)の新藤氏、(民新)の川島氏、(民前)の野口氏四千余の得票にて順位当選、(政前)の渡辺氏、(政新)の井原氏、(民前)の吉田氏が順位当選三一七六票を得た村山氏は百八八票の差で次点組となったことは惜しむべきであった。
 開票結果を示せば
 ◇北足立郡(定員七名)
当選四、一九六票
   田島 忠夫(民新)
同 四、〇九六票
   新藤 元吉(政再)
同 四、〇一七票
   野口 訓三(民再)
同 四、〇二六票
   川島 金次(民新)
同 三、八二八票
   渡辺 富雄(政再)
同 三、五六九票
   井原 和一(政新)
同 三、三六四票
   吉田 正治(民新)
(次点)
 三、一七六票
  村山 弥七(政前)
 二、六二五票
  小川 麟平(民新)
 二、四五六票
  植野 助右門(政新)
 一、二五七票
  池谷 鯉太郎(社前)
   八七七票
  矢島 雄助(養新)

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