北本市史 資料編 近代

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第2章 産業・経済

第2節 近代産業の発展

3 生産基盤の整備
大正四年十月二十八日の「東京日日新聞」によれば、北足立郡加納・常光・中丸の三村長及び有志者が、同地方の赤堀・高谷堰沿岸は最近一〇か年問のうち二か年の平作を除いて、残りは半作で一帯の農民が困窮している惨状を訴え(資料128)、救済策として耕地整理が急務であると県に陳情している。その結果、大正五年に資料130の仮協約書(三村長協定)が取りかわされて、耕地整理事業が開始された。中丸村・加納村・常光村連合耕地整理組合(資料129)が結成され、その耕地整理成績表によると、面積一九九町歩、費用三三、二六八円余、一反当り一四円七七銭の工事費が必要であった。そのため三村では借入金により費用を捻出せんとするが(資料132)、早くも大正六年十月には、請負金請求訴訟がおこり(資料131)、資金不足の問題がこの耕地整理事業をいっそう長びかせることになった。
この耕地整理事業は、大正五年岡田忠彦が県知事として赴任すると、利根川・荒川の改修事業のみならず、その支流河川の改修を実施しなければ耕地整理の効果をあげえないとして水利調査会を設置し、改修を要する河川を調査し、翌七年から着手した河川の改修工事の一環であった。
大落古利根川、青毛堀、備前堀、姫宮堀、隼人堀、元荒川、綾瀬川、福川、新河岸川、芝川、忍川、星川、野通悪水の一三河川であるが、結局、全ての改修が完了するのは、昭和九年になるが、用排水の整備によって、沿岸耕地の生産性を向上させることになる。
また、石戸村においては、地形上耕地整理は実施されなかったが、資料133にみられるように、県農事試験場が食糧増産のために実施した「土性調査」の指定を受け、大正九年二月に土壌分析が実施されている。

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