北本市史 資料編 近代

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 近代

第2章 産業・経済

第1節 近代初期の農業と水利

4 地主制の成立
土地制度の近代化は明治六年七月の地租改正条例の布告に始まる。地租改正は政府の財政収入の安定化を目ざす財政政策であったが、地券所有者を土地所有者としたことで土地所有を明確にした土地制度改革であったといえる。とくに地租が地券を基準に幕藩体制下の年貢負担と同じに決められ、しかも金納とされたことによって農民が慣れない商品流通機構にまきこまれ、明治九年からのインフレーションの進行、同十三年からのデフレーション政策のなかで、次々と土地を手ばなし、自作農の小作農への没落、地主層による土地集積が進行して地主制が確立する。すでに近世から地主的土地集中が進行していた地帯においては、集積された地主の小作料の工業への投資の動きが強まり、土地集積はしだいに停滞する。しかし、土地集積の拡大する地帯では地主の意欲は小作料増徴の基礎となる土地改良や化学肥料の奨励、小作米の品質改良の方向に向かった。資料111の大正二年の二月に成立した北足立郡地主会設立もこの目的のために結成され、石戸村の吉田時三郎も名を連ねた。地主的土地集中は東北や北陸で著しくなり、明治二十三年ごろ四〇パーセントに達した小作地率は、明治四十三年前後から農地改革前まで四五〜四七パーセントを占めるようになる。
地主制の特質は明治十八年、同四十五年(一九一〇)、昭和十一年の四度にわたって農商務省・農林省の手によって行われた「小作慣行調査」によって知ることができる。これは耕地所有者である地主と、その所有地の一部である貸付耕地を耕作する小作人との間の関係を諸側面から明らかにしたものである。資料110は北足立郡下町村小作慣行調査の石戸村と中丸村のものであるが、第一に小作契約の期限、第二に小作終始期及小作地返付の方法、第三に種類及び数量並びに生産高に対する小作料の割合、第四に小作料納入の方法、第五に小作料の怠納処分等を示し、全部で一五の慣行を調査している。これら小作慣行の諸形態のうちで、短期または不定期の契約で結ばれ、全小作地の九八パーセントを占める普通小作にみる諸性格を日本の地主制の特色とみることができる。すなわち、地主が小作人に貸し与えるものは農場ではなく、一枚一枚の耕地であること、小作料は定額であったこと、さらに小作人の地位の低いことである。大正十年の調査では、小作契約は口頭契約が一般的であり、地主の申出があれば作離料などの提供もなく返却するのが普通であったのである。小作料の定額も物料小作料には風水害または不可抗力的な病虫害による減収に対して減免慣行があったが、関東以西に多い金納小作料地には減免慣行がないものがみられた。これら小作料の減免の動きは、小作人運動、小作争議の先駆形態でもあった。昭和四年の世界恐慌がわが国にも顕然化した昭和五年以降の小作争議は、「小作権関係又は小作地取上」と権利を争うものが四〇パーセントと、不作原因の二三パーセントをうわまわり、やがて、小作人の耕作権確保の要求へと争議の動向は激化へと向っていった。

<< 前のページに戻る