北本市史 資料編 近代

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第3章 北本の教育

第3節 国民教育の強化

二 青年補習教育の再編
前述したように、日本の近代教育の目的には、富国強兵の立場から壮丁準備教育という面があった。このため、青年会や教育会が中心となって壮丁教育が行なわれていたが、資料212は、石戸村の状況を示すものである。
実業補習学校については、北足立郡は、資料213のような設置状況であったが、大正期に入り、第一次世界大戦後の日本の国際的地位の向上や大正デモクラシー運動による青少年の政治活動への参加などの社会情況が出てきたため、政府は、実業補習学校に対して、それまでの実業教育とともに「国家を支える公民」たるに必要な青少年の育成を柱とする社会教育的性格を強化した。市域においては、これをうけて、石戸村・中丸村それぞれにおいて、実業補習学校を公民学校と改称した(資料214・215)。資料214は、中丸公民学校の家庭実習簿であるが、当時の教育の一端がうかがわれる。
また、大正十五年には、公民教育と軍事訓練の充実を目的とした青年訓練所が設置された。これは、小学校卒業生を対象として、一六歳〜二〇歳までの勤労青年に四か年の訓練を課すもので、資料216のように、その多くが公民学校に併置された。
なお、公民学校と青年訓練所は、昭和十年の青年学校令により、併せて一本となる。

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