北本市史 資料編 近代

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第3章 北本の教育

第3節 国民教育の強化

三 青年団の育成
日清・日露戦争以後の地方改良運動の重要な担い手であった青年団も、大正期に入るとその性格に変化がみられるようになる。すなわち、大正デモクラシーに代表される社会運動の影響を受けた青年たちの政治活動の規制の場としての色彩が強くなり、国家主義体制を支える機関として、整備・統制されてくる。
埼玉県では、大正五年に「青年団準則」が示され、県内青年団の統制・組織化が図られるが、名称も、この準則が示されるまでは、青年会と称していた。郡レベルでの青年団の結成も進み、大正七年には、資料217にあるように北足立郡連合青年団が創立され、本市域の青年団がこれに組み込まれていった。資料218からは、その活動の一端がうかがわれる。
このように、大正期には、青年団の組織化がすすみ、町村内での他団体、すなわち、農友会・軍人会との連携や他町村青年団との連絡も密になるが、資料219・220は、このことを如実に物語っている。

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