北本市史 資料編 近代

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第4章 社会生活と文化

第1節 社会生活

2 各種講
講は古くから我国の地域社会にひろくみられた結社集団であり、機能的に分類すれば宗教的なものと経済的なものの二つに大別できる。前者はさらに伝統的民俗信仰を中心とするものと、近世に入って参詣旅行費などを出しあって交代で参詣するいわゆる遊山講などに変化してゆく。宗教的なものにはまず伊勢講があげられる。これは伊勢参宮を目標に結成されたものであるが、御師の活躍により室町期より発達し、近世に入って全国的に普及した(資料264・265・266)。このほか民間習俗と深い関係をもつものに、庚申講・二十三夜講・日待ち講があり、富士講、大山講、榛名講、三峰講なども全国的に広く存在していた(資料258・261・262・263)。これらの講は、また代参謎、月参講などといって謂中の各戸から参拝のための路銀を共同出資して、その代表者を箴などによって順回りに派遣した。これらの講も時代を下るにつれ次第に宗教的意味あいを薄くし、個人にとっては娯楽や共同体生活の円滑化、また村落社会にあっては、その安定的かつ円滑な運営と郷土意識の育成などの機能が重要な意味を持つようになった。
講のもう一つの機能として経済的な面があげられる。もともとは氏神などを中心とする信仰団体から発したものもあったが、実質的には経済上の融通団体であり、一般的には頼母子講とか、無尽講などとよばれていた(資料257・259・260)。頼母子は中世以来社寺の檀家和親の精神を基調として成員相互の共済機関として広く行なわれるようになった。火災にあった家屋の建築資金を調達するための普請講、新しく農具・諸道具や牛馬などを購入するための一時的融資のための道具講、牛馬講などもあった。江戸時代には富籤に近い賭博的なものもあらわれしばしば禁令が出されたが、庶民の相互共済的な無尽は干渉を受けることもなく広く容認されて人々の生活に種々の貢献をした。

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