北本市史 資料編 近代

全般 >> 北本市史 >> 資料編 >> 近代

第4章 社会生活と文化

第1節 社会生活

2 各種講

264 明治四十(一九〇九)三月 石戸村伊勢講の紛擾
  (『埼玉新報』明四二・三・六)
      伊勢講の紛擾
         ▲宿屋の争ひが原因
北足立郡石戸村大字下石戸に於ては昨年の一月中伊勢太々講を組織し現在会員廿二名なるが、其講長は戸田徳太選ばれ、毎年八月・十二月の両度に五円の懸金を為し桶川銀行へ預け入れ置く方法にて講員は講長の手を経て積立て、去る一月廿二日伊勢参宮に出立し横浜へ一泊し、同処にて伊勢へ投宿すべき旅館に就き両派に分れ宇仁館組と高千穂館組との競争を起し、紛擾の末抽選にて旅館を確定する事となし其結果宇仁館に投宿する事になりたれば、五味信平は非常に不快の念を抱き渋々ながら伊勢参宮を為したるも、信平は途中より一行と分れて帰宅し他は各名所を見物して帰宅し、松岡市太郎方にて無事帰宅の祝宴を開きたる処、講長は無事帰宅せば講員一同にて献額せんとの発議を為したる処、五味信平は講員の間を運動し献額を為す事に賛成せしめざるより不審を抱きっゝありし折柄、早くも信平の小細工なる事を突止たれば講長徳太郎は不快に思ひ、高千穂館に投宿せんとしたるを宇仁館に変じたりとて立腹し種々妨害を為すは不都合千万ならずやと信平に向ひ詰問せし処、双方とも泥酔り、双方厄気となり已に摑み合とならんと)せしを仲裁する者ありて一時其場は無事に納まりたるも、信平収賄せりと公衆の中にて侮辱したるを憤り、去る三日鴻の巣分署へ誹毀の告訴を為し目下紛擾中なりと云ふ

<< 前のページに戻る