北本市史 資料編 現代

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第5章 変貌する社会

第1節 市民生活と福祉

終戦後の国民の生活に襲いかかったものは、食糧難、インフレーション、失業であった。食糧の配給は遅配、欠配のため著しく不足し、闇売が行なわれ、買出しが強いられた。資料115は、さつまいもの産地であった北本へ、買出しが殺到した状況を物語るものである。緊急に生活の援護を必要とされる人も多かったため、要援護者への援護事業として、多くの市町村では授産所が設置された。北本では昭和二十五年(一九五〇)に設けられ、男七名、女二六名、計三三名が収容され、わら工品の製作作業などに従事した(資料117)。
福祉面では、昭和二十三年に北本宿村健康保険条例(資料116)が公布された。従来の国民健康保険は、組合立で、加入も任意形式であったが、同年に市町村公営に切替えられたのを契機に、北本でも同条例が制定、公布されたのである。老人福祉対策も四十年代に積極的に推進され、寝たきり老人給付金支給(資料119)や、寝たきり老人慰問(資料120)が開始されることになった。昭和四十年以降人口が急激に増加し、都市化が進展すると、様々な要求や期待が、住民から行政当局に寄せられるようになる。その一例が保育所の設置請願であるが(資料118)、これは、四十六年四月、町立では初の保育所
開設として実現された(資料121)。

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