北本市史 資料編 現代

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第6章 教育と文化

第2節 学校教育施設の拡充

174 昭和四十二(一九六七)年二月 南小学校設置届
  (『南小学校設置関係綴』)
  昭和四十二年二月十五日
 埼玉県教育委員会殿
         北本町教育委員会
    公立学校設置届
     (中路)
設置理由書
近年、北本町の宅地造成や住宅建設は非常な勢で進んでいるが、これに伴って社会急増によって不足する校舎の整備は最早一刻の猶予も許されない状況になっている。
今般これを解消するために昭和四二年度中に町の中央で南部寄り高崎線西側地区に、新しい施設基準に基づく充実した独立の小学校を新設するものである。
現在町の小学校通学区域は、中央を南北に走る国鉄高崎線を堺に中丸・石戸両小学校に二分して設定してあるが、石戸小学校通学区域になっている三菱・ニッ家・野球場地区の児童生徒は、距離的理由から数十年来桶川町に区域外就学をしてきたが、近時地域の変ぼう等からその数は益々増加の一途にある。
また中丸小学校の老朽校舎には二六学級の児童を収容しているところから校舎の改築に困難をきたし、更に石戸小学校においても現在余裕教室は皆無であり、さらに学校周辺にはチサン・県営の住宅団地六五〇戸が建設中なので、これが完成後は児童の急増することは必至であり現状にては不正常授業も余儀ない。
猶交通量の最も多い仲仙道及びバイパス線を横断して通学している児童の交通禍を防止する上からも西側地区に小学校の早期新設が望まれていたものである。
新設校には四二年度に一五学級、児童数五六二名、四三年度に一八学級、六八〇名収容の予定で、これにより区域外就学、校舎の改築、不正常授業の解消と規模の適正を図らんとするものである。

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