北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第11章 伝説・世間話・昔話・諺

伝説
伝説は、人智を越した不思議に、畏敬の念をもち信じて疑わない人々のあいだに存在した。伝説はムラ、イッケ、イエが伝承してきたものであるが、その伝説を信じあう者たちが、ムラウチまたはイッケのものであった。信仰といって良いものであった。
伝説とはこのようなものであるが、当然のことながら、ここに述べたような原初的な姿を維持している伝説は市内にはほとんどない。伝承に耐えるよう、他の人たちに、さらに自らにも説得力を持つ合理性を持ったものに変わってきている。
北本市を代表する「蒲桜」伝説を例に説明しよう。
この伝説は、今日、「源範頼のお手植えの桜」として話される場合が多い。しかし、この伝説のもとの形は、明らかに「杖が根着いた」である。
ところで、この種の桜は、挿し木をし活着させることは極めて困難なことだそうである。まして、長い道のりをついてきた杖を土に刺したら根着いたなどとは、今日では、小学生たりとも信ずるはずがない。そこで「お手植えされた」となり、しかも高貴な方により、となったのである。しかし、もはや伝説ではない。
「根着いた」については、すでに江戸時代の末にはその不合理性に疑問が持たれ、滝沢馬琴の「玄同放言」なども「お手植え」となっている。地元でもおそらく、この桜が江戸にまで聞こえた名木たるがゆえに、自分たちの信ずるところとは別に、江戸の高い文化が納得しうる説明をしなければならなかったのであろう。このように考えられる理由は、地元では現在「お手植え」の話とともに「杖が根着いた」話も伝えているからである。また、吉見町、鴻巣市、大宮市など一定の距離をおいた地域、つまり直接外部の不信感を気にしないですむ所で「杖が根着いた」古い形を伝承しているのである(「杖が根着いた」ことの意味については、韮塚一三郎編著「埼玉県伝説集成」上・自然編、一三八ページの解説「杖立伝説」を参照されたい)。
今述べたことから次のようなことがいえる。今日伝えられている伝説から、人名、時代を取り払ってみる。すると、場所とある不思議が起こった物だけが残る。これが伝説本来の姿である。
市域に伝えられた伝説の特徴を述べておく。
「蒲桜」「逆さ椿」の二つは「根着いた」話。「一夜堤」「左甚五郎が一夜で作った大御堂」は、「偉業」と分類されるもの。塚に関する伝承が多い。このうち「耳塚」伝説は、塚は現存しないが、極めて珍しいものである。韮塚一三郎氏の「埼玉県伝説集成」には、春日部市粕壁の耳塚が一例記載されているが、その解説に「・・・・・・・・・耳塚が本県にあることを知ったのは大きな収穫だった。・・・・・・・・・」とある。「埋められた石の仁王」「伊東刑部の背負ってきた地蔵」「厳島神社の御神体」「鯉沼出現の地蔵尊」は、聖地選択と解釈されるもの。二十九番の話は実際にあったこととして伝えられているが、「送り狼」伝説と分類されるものである。「河童」「小豆とぎ婆あ」はともに水辺の妖怪であり、水神の零落した姿と解釈される。年中行事に関する伝説のうち、「おたきあげ」は坂上田村麻呂の大蛇退治との関連から説かれており、荒川右岸の比企・入間郡では広く伝承されているが、左岸の北本市域でも伝承されていることは貴重である。「十日夜」に関連した麦伝来の伝説は、麦作地の村としての北本の姿の名残をとどめるものである。

図1 北本市伝説分布図

①~㊶は本文中の整理番号である。 ⑪⑭⑯⑰⑳は位置の確認が困難なため図中の示していない。 ㉙㉞㉟㊱㊲㊳㊴については主なものの位置を示した。

<< 前のページに戻る