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第11章 伝説・世間話・昔話・諺

第1節 伝説

27 厳島神社の御神体
      高尾
これは、久仏グルワに伝わる話である。
文明五年(一四七三年)、大宮氷川社より男体社を分け、当時は楓が丘にあった弁天社とめあわせた。
元禄十四年(一七〇一年)、池の中に厳島神社が出来るとこの弁財天を御神体として祭った。この池は、「龍灯杉」が大風で根もとから吹き倒れ、その根を掘りあげた跡で、そこに島を作り厳島社を祭ったのである。
その後、この弁財天は、どのような経緯を経たかわからないが、江戸神田の新銀町中島屋久四郎のものとなっていた。
宝暦六年(一七五六年)九月、この弘法大師作といわれる弁財天は三晩夢枕に立ち、久四郎に「これより北十里の楓が丘に帰りたい」と言う言葉を告げた。夢から醒め、
   染むは今梢のはての高尾山
   もみじが岡の錦なりけり
と言う和歌を思い出し、各地を訪ね、この高尾村楓が丘に来た。こうして弁財天は再び厳島社に祭られることになったのだという。
  ▽話者・・・新井恒治さん(高尾大正十五年生)
  ▽石戸尋常高等小学校編さん「石戸郷土読本」昭和八年

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