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第2章 社会生活と親族

第2節 村の中の区分とつきあい

2 クミアイと近隣のつきあい

石戸宿
本宿には一四組のクミアイがある。その内一つは分譲された一画にできたもので、自治会の班ではあるが、クミアイとはいわない。クミアイは冠婚葬祭に手伝い合う仲間である。昔から組み替えはしていない。だいたい軒を接した家同士で構成しているが、中には本家のクミアイに入る分家もあって、そのような家は飛んでいる。遠くへ飛ぶと連絡その他に不便を来すので、近くのクミアイに加入すべきだという人があり、組み替えを計画したがうまくいかなかったそうである。
クミアイ二つずつで自治会の班を構成している。戦争中に隣組として作ったものが、今も自治会の班として残ったものである。自治会の班は連絡ごとにのみ機能していて、伝統的なつきあいにはふれない。
人寄せのときはオショウバン(お相伴)を立てるが、クミアイから一名とイッケから一名である。冠婚葬祭の際には、クミアイは違っていても隣家ならばクミアイ同様に手伝い合う。
横田には四つの自治会の班があるが、一つは新住宅の一画である。昔から組の割り直しをしていない。元からあった三つのクミアイが新しい家を取込んで班を作っている。クミアイとして冠婚葬祭のつきあいを行う時は班の中の旧来の家々のみが結束する。
長男が結婚するとタオルに名前をいれてクミアイの中を挨拶に歩く。葬式の時は通知役はクミアイから二名ずつ出た。葬式には夫婦で二人ずつ手伝いに出る。クミアイ内のどこかの家の人が入院したときはお見舞にいく。
九丁でも、クミアイをもとにして自治会の班ができている。クミアイは元は西組、中組、東組と三組だった。やはり分家は本家のクミアイに加入する傾向がある。
葬式には本家、分家よりもクミアイが中心になる。クミアイは祝儀にも呼ばれる。建前、屋根葺きの手伝いがあった。
ユイはクミアイで組んだ。どの家もしなければならない同じ仕事がある場合に組み、同じ時期に農作業が終わるようにした。

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