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第2章 社会生活と親族

第2節 村の中の区分とつきあい

2 クミアイと近隣のつきあい

常光別所
元々四つのクミアイがあった。戦後、自治会の班はこのクミアイを元にして作られたが、戸数が増えたため、班は八つに再編成された。葬式の手伝いはクミアイが全て行い、親戚は金を出すだけで手をつけない。クミアイは生活していくうえで最も大切なもので、自治会の班とは別であるという。
協力のための家集団はクミアイ、リンクミなどと呼ばれるものであった。五軒クミアイという言葉があったように五軒くらいで組む事がちょうど良かったのであろうが、自治会の班との混同から、含む家の数が多くなって不自由をしていることが感じられた。
どこの家と組むかということについては、系譜・親戚関係より、近い家同士という近隣関係を基本とするものであった。しかし一部に少々離れていても分家は本家のクミアイに入るという所もあった。これは近隣関係の原則が忘れられてからのことのように見受けられた。
嫁を紹介する範囲がクミアイあるいは自治会の班という例があったが、昔家数が少なかったころは部落=村内区分を回っていたものが、回りきれずになった後の変化と考えられる。
戦争中の隣組もそうであったが、自治会の班はクミアイを元に構成することが多い。班は全戸加入が原則だから、新しい家も取込む。この時新加入の家がクミアイのつきあいに入る場合と入らない場合とある。入れば班とクミアイは同じになり、入らなければ別物となる。
やがて班は戸数が増えて、割りなおさなければならなくなる。この時は旧来の家同士と新住者とに分れる場合と、機械的に一定の軒数で分ける場合とある。前者の場合、旧来の家の班はそのままクミアイとなり、後者の場合は班を異にする旧来の家同士にクミアイつきあいが残るので、班とクミアイとは別物だということになる。市内に見られるクミアイと班との関係の違いは、この一連の経過のどこにあるかの違いなのである。
クミアイで行う協力の内容は種々である。冠婚葬祭の折の手伝いを始めとしてユイ、スケット、病気見舞、出産祝など生活の多くの場面に及んでいた。ただ、最近は生活そのものが昔とは違うので協力が形式化しているむきも感じられる。
昔、本当にクミアイの手が必要だったころ、クミアイだけで足りない時は、隣のクミアイの協力を仰ぐこともあった。クミアイ同士の協力関係である。また、隣同士であるがクミアイではない家とも協力関係を結ぶ場合があった。この関係は家が違えばずれていくことになるのである。近隣関係の原則がどこかで破綻している場合の補足手段であろう。
時には煩わしさを感じさせるクミアイつきあいであるが、かつての生活には必要だったものである。しかしこのような民俗も生活の変化と共に変質するのであろう。

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