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第2章 社会生活と親族

第4節 村の中の諸集団

1 子供たちの集団

かって、子供たちは戸外を遊び場として一日の大半を過していた。しかしここで扱うのは、子供の生活一般についてではなく、子供たちが年中行事の折々に、集団を作ってそれを担った場合を取上げる。
埼玉県下では、年中行事の折に子供たちのそれが見られるのは春の初午のときと、秋のお月見、クンチ及びトウカンヤが挙げられている。特に県東部では初午と秋のクンチには、子供たちは稲荷社その他の神社へお籠りをする事が知られているが、市域ではこの二つの行事のお籠りは見られないようである。
市内では、お月見の折の、子供たちの行動が特異なものであった。お月見は月遅れの九月十五日、十月十三日にする家が多かった。夜、家々ではススキを白鳥徳利に挿して飾る。供え物はボタモチ・ダンゴ・まんじゅうなどである。この供え物は、この夜に限って子供が取って行ってもよいと言われていた。
トウカンヤ(十日夜と書く。十一月十日のことで、月遅れの十月十日)には、夜、子供たちが群れをなして、モグラを打つと称して、芋ガラをしんにして藁で包み、縄で巻いて藁鉄砲を作り、これで家々の回りを打って回った。「トウカンヤ、トウカンヤ、トウカンヤのボタモチ、生でもよい。」と唱えた。このときは大きい子供が頭になる。大体男の子だけの行なう行事だった(荒井)などという具合であった。
また石戸宿の九丁では、年中行事の折ではないが、子供たちだけで行う祭礼があった。
九丁の八雲神社は、明治時代に横浜に越したある旧家の氏神だったものだが、その後神社に土地を議ってくれた人を中心にして現在も祭っている。祭礼は七月の十四、十五日。子供神輿があって、当時十二、三歳の子供たちが、日露戦争の戦勝祝いに石油カンを叩いてお祝いをした。そこで村の職人達が、手作りで子供神輿を作った。子供たちはこれを担いで集落を回った。これが九丁の子供神輿の始まりと言う。
神輿が回ると各家庭でお賽銭を出す。それを子供同志で分配する。子供たちは、八雲神壮のお札を配る。お賽銭をたくさん出してくれる家へ配るお札は、一番字の上手な子が書く。子供たちの年齢は、小学校一年生から中学生までの男女。最近は大人がついているが、以前は一切かまわなかったそうである。
子供たちはかって、このように大人の手を借りない自分たちの世界を村落社会の中に持っていた。こうした体験を通じて、一人前の大人になるための準備をしていたのだと解説されている。

写真7 九丁の子供神輿(石戸宿)

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