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第3章 農業と川漁

第6節 川漁と狩猟

2 狩猟

イタチ猟
イタチ猟は、その毛皮の需要によって始められた。イタチの皮は汚れても水で洗って乾かせば使えるため、戦前は防寒用衣料の素材としてアメリカで重宝され、輪出されていたのである。
イタチ猟を伝える長澤兼吉さん(明治三十四年生れ)が猟を始めたのは大正末年で、それまではイタチ猟をするものは北本にいなかったようである。長澤さんは西高尾の農家の生まれで、イタチ猟を始めてからは農業から離れ、川口の鋳物工場に勤め、猟期である冬期に一か月勤めを休み、猟に携わるようになった。長澤さんが始めたころは身近に狩猟に携わる者はおらず、自分で罠(わな)を仕掛ける方法や場所を考えて試行錯誤しながら覚えていったという。長澤さんが始めてからは、氏がその方法を教えた人と合わせて、高尾には二人となった。市域外では川田谷(桶川市)で三人が専業としていた。また伊草(川島町)にはイタチ猟で、身代をたてた人がいたという。この人は奉公人にイタチとりの機械を貸し、獲らせたイタチを暮れの二十八日まで売らずにとっておきその後、入札で売っていた。その人はその儲けで毎年一反ずつ田を増やしたといい、イタチデエジンと呼ばれたといわれる。こうした、長澤さんたちのように冬期にイタチ猟を専業とする人は少ないが、農作業の合間の稼ぎとして、たまにする程度にはイタチ猟は広まっていった。長澤さんも農家の知人には、随分と教えたという。田ケ谷(騎西町)では二三軒の農家の内、一三軒がイタチ獲りの機械を持っていたが、いくらか獲れる程度で一三軒合わせても長澤さんに及ばなかったという。
長澤さんは一日平均七頭、多くて一〇頭獲り、一冬に二五〇頭位は獲ったという。獲ったイタチは皮屋に買い取られた。毎朝取りに来ており、出入りした皮屋は一〇人程であったという。
イタチを獲る鉄の罠は、農家ではトラバサミと呼んでいるもので、それを長澤さんはビクタと呼んでいる。このビクタは半円の二枚の鉄板がバネで閉じる仕組みになっており、その二枚の鉄板を広げて仕掛け、その上を通ったイタチの足を挟み付けて捕らえる。イタチを獲るビクタの規格は一号で、その上の一号半は人の足を挟むとして許可されなかった。

写真43 ビクタ(トラバサミ)

狩猟には、大正八年から銃器以外は甲種、銃器は乙種の狩猟免状が必要となっており、ビクタを使うにも甲種が必要であった。そして、このビクタは皮屋に依頼して入手したものである。
なお、長澤さんのビクタにはKOGUN・TRAPと刻まれている。
イタチの猟期は、十二月から二月末までである。元は十月十五日から四月十五日までであったが、猟の開始の時期が早いと毛皮の質が良くないので、遅らせることになった。早い時期の毛皮はイタチが成長しきっていないので、毛が生え揃っておらず青味があり、売値も二束三文であった。良い毛皮は一人前に育ち赤味をおびた毛皮であった。
長澤さんがビクタを仕掛けたのは、五里四方ほどの範囲で、一人でこれほど広く仕掛けてまわる人は、他にいなかったようである。見沼用水や元荒川の流域をまわり、見沼用水では北は田ケ谷(騎西町)あたりから南は大宮周辺までで、元荒川流域では北は屈巣(川里村)あたりから南は黒浜(蓮田市)周辺までであった。このように東や南方面を広くまわり、西や北方面はあまりまわらなかった。また、近い所では常光、農事試験場(鴻巣)、栢間(かやま)(菖蒲町)あたりが多かった。この範囲で毎日地域を決め、二ダース(二四本)のビクタを仕掛けていた。イタチは魚を好み、魚を常食にしているイタチほど皮の質は良い。そのため、魚のいる用水堀や水田のある地域のイタチの皮は良質で、魚の食べられない畑作地域のイタチの皮はそれほど質の良い物ではなかった。しかし、荒川沿いのイタチは小柄で大きな皮がとれず皮もあまり良くないとされた。それは荒川沿いは、大水が出た時に秩父から小柄の山イタチが材木に乗って流されて来る。それと交尾するので小さいイタチが多いという。常光から農事試験場にかけての地域が水田地帯で、イタチは用水堀の魚を食べているので身体も大きく、皮の質もよい方であったという。長澤さんが荒川流域のある西や北方面へ出掛けず、元荒川や見沼用水流域のある東や南方面に出掛けたのは、そうした状況があったからだという。
しかし、戦前から第二次大戦中にかけて、その荒川沿いのイタチを狙って、上州から一〇人程のグループが車でイタチ獲りに来ていた。自動車で、ある地点まで来るとグループは降り、荒川べりだけをビクタを掛けて行くやりかたであった。第二次大戦に入ったころイタチ猟が許可制となり、雄(おす)を獲ることは許可されたが、雌(めす)を獲ってしまうと三〇〇円の罰金をとられることになったという。そこで、このグループはある一人が雌を獲ってみつかった場合、残り九人で罰金を支払う取り決めにしていた。
ビクタを仕掛けるのは夕方とされているのだが、長澤さんは朝から仕掛けて回り、翌朝に取りにまわった。自転車で回り、罠(わな)に掛かったイタチを積んでくる。雄で頭の先から尾の元まで、長さ二〇インチ(約五〇センチ)に成長したものであった。
ビクタを仕掛ける場所は、イタチが生息する場所と、捕食する場所を見定めて仕掛ける。イタチは農家の床下や材木の下におり、夜八時ころからしばらくが活動時間で、活動する時間に歩き回る道がほぼ決まっている。農家の周囲で仕掛ける場所は、イタチが出入りする垣根の下の隙間である。そこの地面を平らにしてビクタを置き、ビクタの大きさに切った丸い紙を載せ、紙が見えない程度に土を掛けておく、捕食のために活動する川べりのイタチを獲るには、足跡を搜して仕掛ける。イタチが歩いている所は足跡が点々としており、立ち止まる所や歩く向きを変えるような場所には、四本足で立った姿に足跡がある。そうした場所に仕掛けた。土が柔らかい所であれば、ビクタを置いた上に薄く濡れた土を塗っておく。

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