北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第3章 農業と川漁

第1節 畑と畑作物

3 畑作の過程

(四)サツマイモ
品 種
一口にサツマイモといってもいくつかの品種があり、時代とともに変化している。昭和初期・戦前までの品種は金時が中心で太白(たいはく)・花魁(おいらん)などもあった。金時(きんとき)は紅赤のことで、明治三十一年に北足立郡木崎村(現浦和市)の農婦によって発見された品種で、その後千葉県・東京都・神奈川県にも広まった。各都県で違った名が付けられ、金時というのは東京での呼び名である。埼玉県では「紅赤」が一般的だった。太白は明治末ころに九州からもたらされた品種、花魁は明治末かあるいは大正初期に静岡県から移入された品種という。金時(紅赤)や太白は、収穫量は少ないが味のよいイモだったといい、花魁は収量は多いが味は悪かったといわれている。金時は肌が真つ赤で、中が黄色いイモ、太白は中が白いイモだった。
昭和初期はまだ食糧は豊かだったので収量だけを目指した品種ではなかった。しかし、戦争が激しくなり食糧増産が国策のひとつになると、収量の多い品種が中心になった。戦中の品種としては沖縄・茨城・早生花魁(バカオイラン)などがあり、いずれも多収穫だがまずいイモだった。この中では沖縄がもっとも多く作られ、供出されたのである。
戦後の品種としてはコウケイが盛んに作られ、現在は黄金千貫といって肌は白いが、中はホクホクして甘味のある品種が作られている。

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