北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第3章 農業と川漁

第2節 水田と稲作

1 水田と水利

水田の所有
現在に比べると条件の悪い田が大半であった時代でも、水田面積は少なく、地区によっては田がない所もあった。『武蔵国郡村誌』にある水田面積を戸数(本籍戸)で割って一戸当たりの水田をみていくと、石戸宿は約二畝、下石戸上は約一反三畝、下石戸下は約一反八畝、荒井は約九畝、高尾は約五畝、古市場は約三反五畝、常光別所は約五反八畝、花ノ木は約八反一畝、北中丸は約一反三畝、山中は約二反一畝、宮内は約四反九畝、深井は約一反四畝で、本宿(北本宿)と東間には水田がない。全体では約一反四畝となり、常光別所や花ノ木、宮内など赤堀川沿岸地域はかなり水田が多いといえるが、他の地区はいずれも少なく、荒川沿岸の石戸宿・荒井・高尾は一反にも満たない。この数値は単純に水田面積を戸数で割ったものなので、実際は荒川沿岸地域には水田耕作をしていない家もあったはずだし、また当時は家々の水田所有の格差が大きかったはずである。戦後の農地解放によって格差は少なくなるが、これ以前は高尾でも田の年貢(小作米)が五〇俵くらい集まる家もあったといわれている。年貢は田の条件によって異なり、高尾ではいい場所で一反当たり一石(二俵半)、普通は八斗から九斗で、谷津田はその年のでき具合いをみて決めたという。下石戸下や北中丸でも一反当たり八斗から一石、常光別所でも二俵くらいだったといわれている。おおよそ二俵から二俵半になるが、収穫量自体が四俵から六俵程度であったので肥料購入代を差し引けば手元には一反当たりにして一、二俵しか残らないことになる。

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