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第3章 農業と川漁

第2節 水田と稲作

3 稲作の過程

(一)摘み田
田うない・クロ付け
田摘み(摘み田の種蒔き)までの田の準備は、三月のお節供ごろから始めた。二度の田うないとク口付け、そして代ごしらえをし、田に筋を引いてから田摘みといった手順である。
最初の田うないは、一番うない、イチボウネエ、アラクレなどという。寒(かん)に入る前に一度耕し、起こした土を氷らせた方が良いということで、早く行うこともあったが、通常は早くても三月節供のころからだった。男の仕事で「ヒトリメエ一反(一人前一反)」といい、タウナイマンノウで一日に一反耕すのが基準であった。逆にいえば一日に一反耕せれば一人前といわれたわけで、この基準はほぼ市内各地区に共通している。ただしカ量は個人差があるし、水田状況は一律ではなかったので、一日に七、八畝がやっとだったとか、達者な人は一反五畝も耕したなどといわれている。たとえば北中丸では、やっこい田(湿田で土が軟らかい田)なら一日に一反できたが、東の田は水がないと土が硬く、一反はできなかったという。
田うないはおもに男が行ったが、女も田に出ることがあり、女だと一日に五畝程度だった。現在のように動力耕耘機やトラクターで耕すのと違い、すべて万能で行うので骨の折れる仕事で、田うないを始めると手のひらに五つも六つもマメができ、万能の柄が握れなくなるほどだったという。また、手がない(働き手が少ない)、あるいは仕事が遅れている家ではヒョウトリ(日雇取り)を頼んで田うないを行うこともあった。

図8 万能

どの地区でも湿田が多かったが、灌漑は天水に頼っていたので水は自由にならず、雨が降ると大喜びで蓑笠を付けて田に飛び出し、一番うないを始めることもあった。タウナイマンノウは刃が四本の万能で、シホンマンノウとも呼ばれ、これでヒトッパカずつ手前に土を起こしながら前進した。ヒトッパカというのは一人が受け持つ幅をいい、前年の稲株の四~五サク分だった。この幅をタウナイマンノウで起こすのである。
一番うないでは、田のクロ脇の一サクは土を起こさずに稲株を残すのが決まりであった。クロは毎年作り直すので、田の境でもあるクロが動くこともある。少しずつクロを隣の田に出していけば自分の田が広くなるわけで、境界争いが起きかねない。これを防ぐためにクロ脇の株を残し、クロ付けの時の基準にするのである。
ク口付けはアゼナオシ(畦直し)ともいわれ、田に水を入れながら行った。クロにはウワグロとシタグロとがあり、シタグロを作りなおした。ウワグロは自分の田に水が入ってくる方のクロ、シタグロは水が出ていく方のクロである。シタグロは田に水を溜める堤の役割もしているわけで、これが自分のクロだという。ウワグロは上の田の所有者にとってはシタグロとなり、各自がシタグロを付け直せば全体のク口付けができたことになる。
ク口付けの方法は、テスキ・マンノウ・鍬などを使って田の土を古いクロの上に載せ、クワオシといって鍬の底面で土を撫でて水を絞りながら平らに均す。道具を使わずに手で田の土を揚げ、鍬でクワオシをしていく人もある。ク口に揚げる土はすべてを自分の田から取るのではなく、たとえば北中丸や高尾では自分の田から半分、下の田から半分取る。常光別所では下の田から六分、自分の田から四分とるという。下の田が自分の田でなくとも、ク口付けの土を取ることは許されていたのである。クロは古くはニ尺くらいの幅があったが、田を少しでも広くするために後には一尺程にしたというところ(北中丸)もある。高さは田の土の面から一尺程度である。
ク口付けは、現在の古老の世代では一番うないの後に行うのが普通のようだが、場合によっては田うないの前にしておくこともあった。この場合にもクロ脇の一サクは境の目印に残すので、二サク目から内側の土を取って付け直した。なお、耕地整理をしてからはクロ脇のサクを残さず、田の境の芯杭を目印にし、縄を張ってクロ付けをするようにもなったという。
一番うない、クロ付けが済んで二〇日ほどして、あるいは五月節供の前に二番うないを行う。これはニボウナイともいわれるが、荒井ではキッコシ、キリオコシ、常光別所では田ウクシという言い方も伝えられている。高尾では二番うないをする前に、クロネキリといって ハバタ(万能)かテスキを使って一度前年の稲株の根を切る作業もした。
二番うないは一番うないで起こした土を細かく砕く作業である。万能で起こした土に混ざっている稲株を揺すり、土のコゴリ(塊)をほごすようにして細かくしていく。田に水が回ってないとできず、雨が降るとみんなで田に出て行ったといわれている。万能は普通の田を耕す万能を使うこともあったが、キッコシマンノウ(下石戸下)とかノミットマンノウ(荒井)などと呼ばれる刃先が尖(とが)った四本刃の万能を使った。
摘み田の場合はこの後、丁寧に代ごしらえが行われたが、植え田だと二番うないが代ごしらえとなり、土のコゴリを砕いて平らに均してから田植えとなった。
二番うないが終ると田にきちんと水を入れ、表面に見えている稲株を一株ずつ足で踏み込む人もいた。大宮台地周辺の摘み田地帯では、田うないの前にフンゴミといい、稲株を踏み込む作業を行うのが一般的だが、北本の場合はフンゴミは必ずしも行わなかったようである。フンゴミという言葉は知られているが、たとえば常光別所では、鯉沼耕地では耕地が広かったのでフンゴミはしなかった、下石戸下ではフンゴミをすることはとくになかったという。高尾では、ドブッ田では土が軟らかいので株を足で引き寄せて踏み込むこともあった、北中丸では二番うない後に株を踏み込んだという。いずれにしてもフンゴミを行う場合は、代ごしらえの作業として行われているのが特色である。

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