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第3章 農業と川漁

第2節 水田と稲作

3 稲作の過程

(一)摘み田
稲 刈 り
現在は十月初旬から中旬に行われるが、摘み田をしていた当時は稲刈りは遅く、十月下旬から十一月上旬が盛時だった。北中丸では十一月十五日の鴻巣のお十夜ころまでかかった、高尾では稲刈りは十一月二十日のエビス講までに終えればよいといったなどという。早く刈り終えれば、この後すぐに麦蒔きとなったが、手が回らず遅れると先に麦蒔きをしてから稲刈りに取り掛かった。
稲刈りに使った鎌は、古くは麦刈りと同じ草刈り鎌だったが、昭和初期からはノコギリ鎌を使う人もいた。刈る方法は一人が七サク分ほどを受持ち、株を手で握って一株ずつ刈って二手(二握り)あるいは三、四手(三、四握り)を一把に束ねた。現在の水田はほとんどが乾田で、刈った稲は土の上に並べ置くことができるが、耕地整理・暗渠排水以前は湿田が多く、こうした田はソリや台を持ち込んで稲刈りをした。
ソリは田舟のことで、たいていの家にあった。一人で一台、または二人で一台使うので、四台、五台と持つ家もあったが、これだけない家では借りて使った。ソリの大きさは幅二尺五寸に長さが三尺五寸、あるいは幅三尺に長さ五尺、幅四尺に長さ六、七尺くらいといわれ、この上に刈った稲をのせて束ね、いっぱいになるとクロに運び出した。二人で一台のソリを使う場合は、二人の間に置いて双方から刈った稲をのせて束ねた。また、ソリの代わりに背負い籠などを裏返して置き、これを台にして稲をのせて束ねることもあった。
湿田のなかにはソリを使うだけでなく、カンジキを履かなければ稲刈りができない所もあった。カンジキはエゴの木の若い枝を直径一尺くらいに丸くして縛り、真中に板をつけて鼻緒をすげたもの、あるいは木製の四角な枠に足をのせる板を付け、鼻緒をすげたものである。素足で入ったのでは深くもぐってしまう歩きにくい田で履いた。

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