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第3章 農業と川漁

第3節 肥料と客土

1 肥料


摘み田の田摘みやサツマイモの肥料には灰をたくさん使い、各家では竈(かまど)から出る灰は捨てずにとっておいた。プロパンガスが普及するまでは家の中に竈があり、ここで麦カラ、クズ(落葉)、桑棒(桑の枝)、桑の根などを燃料に使って煮炊きをし、これらの灰を取ったのである。
ただ、一口に灰といっても麦藁・稲藁の灰(藁灰という)と木の灰(草木灰)とは同じではないといわれている。燃料のなかでは藁がもっとも多くの灰がとれ、この灰は黒くて軟らかく、しかも軽い。ザルなどに入れて搔き混ぜると量が減る。これに対して草木灰は白くて重く、ザルに入れて搔き混ぜても量は減らないという。肥料として使うには白い灰は燃えすぎて効き目が薄く、藁灰がもっとも良いという。
竈から取った灰はトリバイと呼ばれ、竈から取るとへエゴヤ(灰小屋)とかハイガメ (灰がめ)という場所に置いた。一間X三尺程度に周りを泥壁かコンクリートで固めた小屋で、たいてい外便所の近くに造ってあった。周りを泥やコンクリートで固めてあるのは、トリバイには火が残っている可能性があるからで、油断すると火災の原因になった。まず、灰小屋に入れて冷まし、火がないのを確かめてから灰俵に詰め込み、灰小屋の隅や木小屋のオロシなどに積んでおいたという。灰俵はヤマカリカゴと同じくらいの大きさで、二俵で荷車が一杯になるほどだった。普通の米俵や麦俵に比べると太っているので、太った人を見ると「へエダラ(灰俵)みてえだ」といったりしたという。
こうして溜めた灰を摘み田で種籾と混ぜたり、サツマイモの肥料にしたが、自家分だけで足りないと岩槻の灰文や中村などの灰問屋から買った。あるいは吉見や川島、鴻巣市の笠原や常光、行田など、田場所(水田地帯)の農家に行って買ったり、薪やサツマイモを持って行って交換したりしていた。農閑期に出かけて購入または交換してくるのだが、先方の農家も心得ていて灰を溜めていたし、買う場合は灰問屋より高くしないと売ってくれなかった。田場所から稲藁を買ってきて、これを煮炊きに使って灰を取ることもあったという。田場所では、稲は植え田で作ったし、サツマイモもあまり作らなかったので灰を使うことはほとんどなかったのである。
灰の取引は仲買商もあったが、問屋との直接取引が多かったようである。岩槻の灰問屋から買うのが一般的で、これを岩槻灰とも呼んでいる。灰問屋へは荷車を引き、提灯(ちょうちん)をつけて朝早く出て、問屋では並んでいる灰俵を手で揺すって固く詰まっているかどうかを確かめてから買った。前述のように灰俵は大きいので、荷車には多くても三俵ほどしか積めなかった。このように自分で買いに行くこともあったし、また問屋が御用聞きに回ってきて注文で運んでもらうこともあった。灰の代金は田摘みが終るころになると集金に回ってきたとのことである。
現在ではたかが灰と思うし、灰を買い求めたり何かと交換することなど考えがたいが、近年までは立派な商品だったし、北本周辺の農家ではなくてはならないものだったといえる。

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