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第3章 農業と川漁

第4節 養蚕と桑苗生産

2 養蚕の技術

密 閉 飼
こうした、春蚕の稚蚕飼育のころは、まだ気温の低い日もあり、寒いと稚蚕の食欲は落ちてしまう。稚蚕の時期にしっかり桑を食べていないと、繭の収量は著しく落ちることになった。そのため、蚕室に火鉢を二つ置き、薪を燃して部屋を暖め、華氏(かし)で七〇度程の室温に上げ稚蚕の食欲を促した。これは晩秋蚕の時期に気温が下がった場合でも行われた。しかし、このころの蚕室は障子を締める位のことはするものの隙間があり、思うように暖かい室温を保つのは難しいことであった。また、室温は上がるものの、乾燥させすぎては桑葉が萎(しお)れることもあり、そうなっては、また蚕の食欲を落としてしまうことになった。温度が上がって餌を食べないと、蚕は胴が青く頭が赤く透き通った症状の、アタマスキ(空頭蚕)になってしまった。
蚕室を暖めると蚕に食欲がでることはわかったが、その技術には、上手下手の個人差が大きく、北中丸では、それが元で、身上をつぶした養蚕農家もあったという。
こうした、稚蚕飼育を向上させるための工夫は各地で行われていたが、大正十年ころに流行した稚蚕飼育法にミッペイガイ(密閉飼)があった。北中丸では関東大震災の前ころと記憶されているが、養蚕教師が回ってきて伝えられた方法で、加温して締め切った室内の温度・湿度が逃げないように、隙間をすべて目貼りしてしまうものであった。こうすることにより桑の萎れを防ぎ、蚕の食欲を引き出すことができる。また、桑が萎れないので多少多く桑を与え、夜間の給桑の手間が省ける利点もあった。
この密閉飼での加温には、径が七寸の練炭(れんたん)(普通は四寸)が使われた。蚕室を密閉してしまうので、目が届かぬため、火の管理が出来ず、練炭であれば安心であった。また、経済的でもあったという。
なお、密閉飼いが導入されるようになると、掃き立て前に蚕室の消毒がホルマリンを使って行われるようになった。

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