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第3章 農業と川漁

第4節 養蚕と桑苗生産

2 養蚕の技術

壮蚕飼育
四眠のことをニワヤスミと呼び起眠することをニワオキルという。ニワオキルと蚕も大きくなっており、毎日ウラトリすることになる。ウラトリでかける網をかけて、二回ほど給桑しないと蚕は網の上に上がりきらなくなる。網をかけて桑を与え、毎日ウラトリすることになる。

写真29 クワキリ庖丁

写真30 ウラトリ

給桑の方法は、壮蚕へ桑葉を枝ごと与える条桑育(じょうそういく)へ移行する大正末ころまでは、桑葉のみを与えていた。
春蚕への給桑は、桑刈り鎌で枝を刈り取って束ねて家へ運ぶ。古くは、長さ一尺程で先の尖った出刃包丁で桑葉を枝から払い落としていたそうであるが、明治三十年代には枝を挟(はさ)んで引き抜けば葉が取れる桑コキと呼ばれる道具が導入されたという。枝からこき落とされた桑葉は、蚕の成長に応じて稚蚕では細かい刻みから荒い刻みへと変えて与えるが この刻みも、古くは桑叩き包丁で葉の端を切り捨て四角にしてから刻み、それをメカゴに入れて振るって平らにまんべんなく与えたという、手間のかかる給桑であった。大正時代にはこれも改良され、桑切り機械が導入されている。箱の中に桑葉を入れ、ザクザクと切るものであった。
こうした桑葉のみを与えた時代は、上蔟するまで一貫して蚕室の中の蚕棚の中で成長させる、棚飼いであった。

写真31 蚕棚飼育

夏蚕を飼う場合には、春蚕で枝を切っているので、葉を確保するのが大変であった。自家の桑園に春蚕で枝を切り残したタテドオシの株があればできるが、なければ自家の桑で蚕を飼うことはできぬため、飼う家も少なかった。そこで夏蚕を飼う家では売り桑を買い求めることになった。鴻巣の人形町には商店をしながら桑を育て、売り桑をしている家が何軒もあった。昭和の十年ころまでは繭の仲買人が、そうした売り桑の仲買をしていた。しかし、そうした売り桑を買えぬ事情の家では、あと一、二回の桑がないために泣きながら蚕を捨てることもあったといわれる。
そして、夏蚕を飼う家では、母屋からトタン屋根を張り出して小舎掛けして、その下で飼った。また、昭和七年ころより五年間ほど、露天蚕という飼育法が行われた。庭に地面より斜めに蚕籠を立て掛け、その上に筵をのせて日除けを作り、その下で飼ったのである。
秋蚕・晩秋蚕の場合、春蚕のように枝を切り落とさず、摘み桑で飼う。手に桑摘み用の爪をはめ、枝から一葉ずつ摘んで籠に入れて家へ運んできて与えた。三眠までは枝先の柔らかい葉を、三眠起きてからは下の方の葉を摘んで与える。秋桑を摘み桑にしていたのは枝を切ってしまっては翌春の給桑に困るからであった。

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