北本市史 民俗編 民俗編一覧
第3章 農業と川漁
第4節 養蚕と桑苗生産
2 養蚕の技術
上 族五令で熟蚕となると、蚕の体は赤味を帯びた透き通った色となる。これをシキと呼ぶ。この段階になった蚕を一匹ずつキバチ(木鉢)に拾い、マブシ(蔟)へ移して上蔟させた。
写真32 キバチ(木鉢)
マブシの変化を大まかに見ると、ゲンゴクマブシ、藁(わら)マブシ、改良マブシ、回転マブシの順であった。
ゲンゴクマブシは長さ一間、幅四尺の籠に菜種の殻を並べ、竹と藁で押さえたものであった。明治期にはこうしたマブシが使われ、この上に蚕を振っていき、上蔟させた。
藁マブシは藁を蛇腹(じゃばら)に折り曲げて使うもので、折りマブシ、島田(しまだ)マブシ、ガチャガチャマブシ、キチガイマブシなどの通称があり、明治の末には使われており、昭和初期まで使われていた。水田がそれほど多い土地ではないのて、材料の藁は周辺の稲作地帯から買う養蚕農家も少なくなかった。
写真33 改良マブシ
写真34 回転マブシ
しかし、こうした藁マブシは一年限りの使用にしか耐えられぬので、何年も使える改良マブシに大正から昭和初期に移行していった。改良マブシは藁を山なりに手織りするもので、補強のために針金が巻かれていた。そして、昭和十五年ころからダンボールの回転マブシを取り入れる家が出始め、第二次大戦後は養蚕組合が導入に力を入れたので、殆どの家が回転マブシへ移行していった。藁マブシの上蔟では、別の蚕の尿がついて汚れるものもあったが、回転マブシではそうした汚れ繭が少なく繭かきも楽になった。
藁マブシでの上蔟作業は、まず、三尺籠の上に三尺四方で薄いムシロを敷き、縄網を敷く。そして、縄を縦に二本張り、張り渡した縄が緩まぬように籠の中に竹か桑の枝をつっかえ棒に渡しておく。藁マブシはその上に山並みに広げておく。先に張り渡した縄は、この山がつぶれぬようにする支えである。一枚の三尺籠に藁マブシを二枚ずつおき、その上に木鉢一杯ずつの蚕をふっていく。マブシの中で蚕は糸を吐き始め、繭をつくる。こうして上蔟した蚕は再び蚕棚に差しておかれ、蚕は五令で食べた日数だけ置くと繭の中で蛹(さなぎ)となる。