北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第3章 農業と川漁

第4節 養蚕と桑苗生産

5 桑苗の生産

桑苗の生産地
北本市域の東部地区つまり旧中丸村は、大正から昭和初期にかけて桑の苗木生産地であった。その時期埼玉県全域で見ると桑苗生産高は児玉郡が最も多く、それに次いだのが中丸村を含む北足立郡であった。そして、大正十三年刊の『北足立郡誌』に、「販売の目的を以って生産する地方は、中丸村・神根村・馬室村等其の主なるものなり」とあり、神根村(川口市)を除いて中丸村(北本市)・馬室村(鴻巣市)の二村は大宮台地上の桑苗の産地であった。
こうした、郡内各村の桑苗生産量を知る統計が不明であるため、北本市域での生産の推移を数値的におさえることはできない。桑苗生産を始めた時期も、明治時代から始まったと漠然(ばくぜん)と伝承されているだけである。おそらく明治中期以降、北足立郡で養蚕が盛んになりだすと共に始められたのであろう。後年の例だが、北中丸では桑苗の仲買をする桑苗木屋から、米を作るより所得が多いから作らないかと誘われて始める人も、少なくなかったという。周囲に需要がいくらでもあり、現金収入を得る手段としては比較的確実なものであったことから最盛期の昭和初期には、中丸地区の八割近くの農家が手掛けたとされる。また、産地化していくのは販路を拡大する上で強みとなり、養蚕県である群馬・長野からの桑苗の注文も来た。しかし第二次大戦中の食糧増産のための桑園の減少がまともに影響し、このころから需要のない桑苗生産から離れていくことになった。しかし、戦後しばらくはその生産に携わるものもあった。
桑苗を作る畑は低地の里地では合わず、台地上の軽い土の畑が合うというので、中丸地区の宮内・別所・北中丸・深井・古市場にそうした生産者はいた。

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