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第4章 職人と技術

第1節 日常生活と職人

10 トビ(鳶)

トビの職人を仕事師ともいう。東間の斎藤国元さん(大正十一年生)は高等小学校を出て、中丸の親方をしていた加藤弘商店(貞一さん九二歳で死亡)に弟子入りした。この時、北本からも二人の兄弟弟子が入った。国元さんの実家は農業をしていたが、夏枯れなどあり、生活が安定しないので職人になる道を選んだ。弟子入りしたころは昭和のはじめの不景気な時代だったので、小遣いなどはもらえず、日に三度、食べさせてもらうだけだった。根気のいる仕事として忘れられないのは、シックイ(漆喰)作りであった。シックイは、まず、ツノマタ(海藻)を煮て、その中にツタ(麻袋などをほぐしたもの)を入れて下ごしらえをし、最後に石灰を入れて練った。この時、いつも「自分の汗でやわらかくなるように練りまくれ」と叱られたのを覚えている。
昔は地ツキのタコ(引き綱が八本出ているのでこの名がある)を引くツナ子を八人も頼まなければならないので大変だった。戦後になって、発動機を使ってウインチでやり、人数を少なくする工夫もしたが、人件費がかさみ、機械化がすすんで専門職の土建屋も生まれたので、トビ職の仕事は衰えてしまった。昔は九月二十二日にタイシ講があって、当番の親方の家に集まり、聖徳太子の絵姿の掛け軸を飾って祝いにぎやかだった。いつも年番(ねんばん)が二、三人いて、大工、トビ、左官、屋根屋が合同で集まっていた。
<仕事の内容>
・家の土台の入れ替え
・家の傾いたものをなおす
・壁のぬりつけ
・植木(その当時、植木屋はいなかった)
・井戸掘り
・杉皮の屋根葺き
・神社の上屋根かけ
・瓦屋根葺き
・左官の砂どりやシックイ作りの手伝い
・屋敷の地つき

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